息子と小屋番

田中正祐紀 2012年1月28日掲載 E-07

 「小屋の主人とその息子はいるけど、小屋の手伝いを親子でやるというのは見たことがありませんね。」と 真砂沢ロッジでアルバイトをしているSさんは言った。小屋で、息子と一緒に夕食の配膳をしているときだった。 なんだか、たまたまそうなったような気がするが、 こうなるといいなと、なんとなく心の中で望んでいたかもしれない状況だった。でも、この一言で、かけがえのない時を過ごしていると感じた。

 息子は大学生で、コンピュータ関係の勉強をしている。 中学、高校とゲームが好きで、外には出ず、親から見れば、ほとんど中毒状態だった。本人は勉強とゲームの両立と言っていたが、私たちの時代は、勉強とスポーツや恋愛だったはずだ。 何を考えているか分からず、親は不安な日々を黙々と過ごしていた。

あるとき、決してゲームに溺れまいとしている様子が分かり、 そこをどう折り合いをつけていくかを見とどけようと思い、口を出すのはやめて、本人に任せることにした。彼は自分で受験校を決め、希望校に合格した。そこでゲームを作る側の人になるための勉強をするという。 

 大学2年生の夏休みに、山の大きさを体感させたくて、谷川岳に誘った。 彼は古い私の登山靴を履いて、二人で厳剛新道を登った。頂上付近や下り道では、いい顔をしていたが、翌日は階段の上り下りも苦しそうな筋肉痛になった。 何がきっかけか分からないが、冬休みに帰省した息子は、 大学の周りをジョギングしたり、筋トレをしているそうだ。

また、昨年からアルバイトを始めた。 接客、レジ、商品陳列、在庫管理などをしているという。 

 今年の3月、息子はバイト先で東日本大震災に遭遇し、そこは被災地になった。情報が何もない中、春休みだったので、自分の判断で自転車で実家まで帰って来た。停電の真っ暗な町や国道を15時間走り続けた。 そして、大学が5月に始まる前に同じ自転車で戻って行った。バイトと震災が彼を少し頼もしくしたようだ。 夏休みで帰省中の息子に、小屋の手伝いを9月にすることを話すと、一緒に行きたいという。

さっそく、主人に電話で無理な息子の希望を伝えると、一緒に来ればいい、という返事。 予想もしなかった展開にびっくりしてしまった。

  こうして、息子と二人で小屋に行くことになった。 息子は大雨の雲切新道を新調した登山靴で登った。 雨具など、どうでもよくなる見事な降りだったので、途中から汗と雨で濡れるにまかせた。 小屋に着いて、露天風呂に入ると、彼は谷川岳で見せたいい顔をした。 温泉に入ると自然と頬がゆるむそうである。翌日は、雨が上がり、主人が今日は剱が見えるから二人で散歩してらっしゃいという。

仙人池は、剱を静かに映しており、池の平まで足を運んだ。親子で剱岳を見ることがあるとは、ちょっと想定していなくて、うれしいというより、 足が宙に浮いたような感じになってしまう。

 小屋に戻ると突然、主人が用事のために富山に下山するという。2晩の小屋番をすることになった。実は、小屋番など初めてで自信がなかったが、息子とならその不安も半減するような気がした。主人にしてやられた感じだが、二人で喜んで引き受けた。 彼は自炊をしており、料理も私より上手だ。雨続きで宿泊者は1名だったが、おでん、山いも、フキの炒め物、キュウリの塩もみなどの夕食を作った。朝食も共同作業だ。息子は卵焼きとベーコンを上手に焼いた。 

 お客さんを送り出してしまうとホットして、息子は雨の中を露天風呂に入った。 そこへ、20名ほどの団体(ほとんど女性)がトイレに立ち寄った。カラフルな雨具を着た13名の女性が一列で進む。

「まあ、お風呂があるわ」などと声があがる。 うかつにも息子はタオルを持っていなかった。黄色い声が飛びかう中、桶で前を隠し、脱衣所へ走った。 若い男が、ちょっとサービスしすぎたようだ。 

 天気も回復したので、山々に電動ドライバーの音を響かせ、宿泊棟の壁を修理した。 布団を屋根に干していると主人が戻って来た。 富山名物のカジキマグロの昆布ジメを運んで来てくれた。最後の夜は団体を含め15名が宿泊した。 夕食と朝食を主人と共に用意した。 大勢のお客様を、笑顔で見送ることが出来てよかった。下山の日は快晴。息子と共に満ち足りた気分で雲切新道を下った。

 しょせんは、つかのまの、一時的なほろ酔い気分のようでもあるが、 時の経過とともに、心に深く刻まれた仙人谷の思い出となった。

仙人温泉小屋

北アルプスの山小屋【休業中】です。 上は剱岳、下は黒部川、その中腹にあります。 仙人谷の噴気孔から温泉を引きます。 雪深いため夏期のみの運営になります。