　キノコも出る気配がまったく無かったのだけれど、９月２２日にマイタケをひと株見つけた。ナラタケ、クリタケ、シメジはまだ出る気配がない。

　雨不足だったので飲料水にしている岩清水が涸れてしまいそうだったが、３日ほど雨天が続いたので湧水量は持ち直した。
朝に目が覚めたら水が止まっていた日があった。仙人温泉小屋はトイレが水洗式なので水が出ないとトイレが使用不能になる。まさか、宿泊者に本日はトイレを我慢して下山して下さい、なんてお願いできっこないよね。幸いにして、その日はお湯が出ていたのでお風呂のお湯をトイレのタンクに運んで事なきを得た。
勿論、お湯を運ぶのは小屋番の仕事ですよ。宿泊者が用を済ませたらすぐにお湯でタンクを一杯にしないといけないんだ。次の人が待っているからね。上品で美人の女性はドアの前に人がいると、赤面して恥ずかしそうだけれど、小屋番だって臭いがホカホカのトイレに入るのは、結構辛いんですよ。
夜の食事が済んで後片付けをしようと思った時に水が止まった日もあったよ。１９時半だったね。あの日も困った。が、どうにかしなければなりません。
夜の温泉を楽しみにしている人もおります。朝の食事の用意もできなければ申し訳が立ちません。水源までは片道３０分。修理してから小屋に帰り着くのは１０時を過ぎます。それから食器を洗って、自分の晩酌を済ませて、さあ寝るか、と布団に潜り込むのは１１時半にはなるね。そして朝は３時に起きて朝食の用意。小屋番はこんな調子なんですよ、ご同輩。
だからね、呑まずにはいられないんですよ。呑まずにはやってられないんですよ。そんな訳ですから、いつも電話の時に酔っ払ってばかりでごめんね、カアチャン、解って下さい。

　もうなのか、まだなのかは微妙なのだが、今シーズンも残り一ヶ月をきった。下山したい気持ちもあるが、街での暮らしを考えると憂鬱にもなる。まっこと、山男の心情は複雑なのである。

　去年までは冷蔵庫が無かったので、肉や魚はめったに食えなかったが、今年はあまり不自由をしていない。山仲間が冷凍庫をプレゼントしてくれたからだ。朝に４時間、夜に４時間作動しておけば冷凍食品は持つものなのだ。これは新しい発見だったね。おかげさまで宿泊者に提供する食事も彩が良くなって喜ばれている。
こうなると欲が出てくる。来年は冷凍庫をもう１台用意したいと思う。酒の肴にする冷凍食品は、鶏肉の唐揚げ、トンカツ、ほうれん草のおひたしで十分です。仕上げは冷凍のラーメン。ちょっと食材費が負担になるけれど、背に腹は代えられない。
食欲が満たされないことには、動物だって耐えられないよね。　熊だって飢えれば射殺される危険を冒してでも、人里で餌を求めて徘徊するんだよね。今年は日照りの夏だったので木の実が不作だから、山小屋の食料を狙う熊が増えると思う。

　冷凍庫には酒の肴ばかりではなくて、ショコラモンブランなんていう洋菓子も入っている。これは女性が喜ぶね。この前なんか若い乙女だったので食後にサービスしたら、もう一つ食べたい、ときたよ。　『お金は払います』と言ったけれど貰えなかったよね。何処でもそうだけれど、山小屋の番人は女性に弱いからね。平日は宿泊者が少ないので、若い乙女が一人しか泊まらない、という日もあるよ。そんな時は、ショコラにビール、ワインに日本酒、となんでもサービスしちゃうよ。そしてね、夕食時にさりげなくギターを弾くのよ、禁じられた遊びなんかをね。
するとね、若い子は目が潤んでくるよ。それでね、『あたし酔ったかしら、ひとりで寝られそうにないわ』　・・・・なんてことには、なりません。絶対的になりません。でも、50歳を過ぎた元乙女はそんな事を言った人がいたかどうかは忘れてしまったけれど・・・・・・。

　忘れられないのは、一人きりの宿泊者が中年の男性だけだった時だ。夕食が終わっても、何時までも食堂にいる。雑談をしながら『ビールを奢るよ、飲もうよ』とすすめてくる。こちとら、嫌いではないからご馳走になった。売り上げはあがるし、自分もただ酒で酔えるのだから、と思った。
どうも様子がおかしいと思ったのは、缶ビールを5本ご馳走になった時だ。その男性がジッと見つめながら、小屋番さん、色が白いね。餅肌みたいだね、と真剣な眼差しで言うんだよ。ゾッとしたね。
女性には興味があるけれど、男性の趣味はないんだよ。困ったけれど小便に行く振りをして、ペットボトルに飼っていた赤マムシを持ってきて、これからこのマムシの皮を剥いで、ビールの肴ににしようぜ、と言ってペットボトルの栓を開けようとしたら、お客さん、顔が青くなったね。食事もそこそこにして、宿泊棟に引きあげて行ったよ。

　小屋番の夜は、いい時もあれば大変な時も有ります。残り少ない山小屋暮らし。良い日を願わずには、いられません。

(注１）別れのブルース、服部良一の作曲による戦前の曲で淡谷のりこが歌っていたね。
　　　最初の題名は「本牧ブルース」っていうそうだ。

小屋番のブルース．２

黒部の仙人（髙橋 重夫） 2012年9月26日掲載 E-15

黒部の仙人（髙橋重夫）　2012年9月26日掲載　E-15