渓信州 2013年5月6日掲載 E-25
登山用品の軽量化・高機能化の進展には驚くばかりです。もちろん私もその恩恵を受けて、山歩きを安全快適にしています。でも自分の体力や技術の不足を道具の高機能に助けられていたのでは、補助輪付自転車に乗るのと同じで、登山技術はなかなか進歩しません。それに、昔の人が自然の中にあるものの特性を上手に利用して道具を作っていたことを考えると、化学の力で道具を作ることにも安直さを感じてしまいます。
五感を頼りに自分の足で歩くという動物の原点に近づくことを楽しむ登山に、最新兵器ばかり持ち込むのは興ざめで、古い道具を体の一部のように使いこなす方が楽しく感じるものです。昔の道具には趣がありますね。旧式の道具を使って格好だけ大正・昭和の登山者になって山を歩く、それを私は「クラシック登山」と称し、セピア色のオシャレとして楽しんでいます。そんな私の山道具を2回にわたって紹介しましょう。
【木製の背負子】 アルミフレームの背負子を担ぐ人はよく見かけますが、これは少ないですね。身近なところでは、小学校の校庭にある二宮金次郎像くらいでしょうか。 これは硫黄岳山荘の浦野オーナーから譲ってもらいました。尾瀬のボッカさんみたいに高く積んで歩くわけではありませんが、背負っていると山小屋の人だとすぐわかってもらえます。空荷の下りで先を急ぐときなどは道を譲ってもらえるので大変助かります。靴はゴム製の黒いブーツが似合います。長靴ともいいますね。
【尻あて】 これは、なかなか売っていません。仕方がないので自分で作りました。台東区蔵前界隈には皮革用品店がたくさんあります。うさぎの皮2枚、裏地用牛皮ハギレ、皮細工用の糸を買って縫い合わせました。かかった費用、たったの2,500円也!
【わかん】 剱を歩くなら、わかんはやっぱり芦峅でしょう。素材は地元で採れるクスノキ科のクロモジ。高級和菓子を食べるときの楊枝にも使われます。金属製のわかんやスノーシューは味気ないものです。芦峅の輪かんじき作りについては、剱御前小屋HP「立山夜なべ話(完全版)第12話」に詳しい記述があります。
【2本のピッケル】 BERGHEILと刻印のある方が門田の製品です。炭素鋼なのでそれほど高価なものではありませんが、叔父から譲り受けたもので、渓家3代で使っています。
もう1本はICEMANSHIP製。札幌の門田、仙台の山内と並ぶ東京のメーカーです。鍛冶職人の森田直治が、昭和23年~30年に1,100本ほど製作し、その一本一本に番号が刻印されています。私のは№869。この逸品は、職場の大先輩からから譲っていただきました。クロム鋼が今もいぶし銀に輝く、私の宝物です。
ピッケルカバーにご注目下さい。市販のカバーは、ピック部分とブレード部分と二つに分かれていますが、これは一体型です。装着・収納の容易さを考えて自作しました。
【マタギベラ】 知る人ぞ知る山道具。秋田のマタギが使う道具を、資料を参考に自作しました。別に何か目的があって作ったわけではなく、格好だけです。ピッケルではちょっと大げさな2千メートル台の雪山を歩くときに杖、スコップとして使っています。すれ違う人に「それ何ですか?」とよく質問されるので、説明するのが大変です。
写真は、ヘラ部分が雪に15㎝ほどささった状態です。
【刃物類】 マタギのマネをするなら鉈(なた)(ナガサ)を持たないと。人気(ひとけ)のない山ではクマよけの鈴をつけて歩くのが一般的ですが、鉈を持っている方が気持ちの上では安心です。実際にクマに出会ったことがないので、いざというときに自分がどういう行動をとれるかわかりませんが。これは東京銀座にあった老舗刃物店の職人の作です。<br>
写真で鉈の下のナイフは米国Buck社製です。ラブレスが欲しいけど高すぎて手がでません。 ハンドル部分が竹製のカスタムナイフは、私の深田百名山登頂祝に、ある方からいただいたものです。名前を刻印してくれました。硬鋼と軟鋼を何層にも重ねて鍛造した波形模様の刃が特徴で、切れ味抜群。愛用しています。 スイスで買ったアーミーナイフは、1991年に揃えたものです。この年は、スイス建国700年にあたり、国旗が出来上がるデザインを印刷した記念ナイフが製作されました。店頭には飾ってなくて、「アニバーサリーナイフが欲しい」と言ったら出してくれました。値段は同じでした。日本でも所有者は少ないでしょう。
次回は、弁当箱、火器、スキー板を紹介します。お楽しみに
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