黒部の仙人(髙橋 重夫) 2016年2月6日掲載 E-57
昨年の10月6日に下山して、配管工事を再開すると間もなく、喘息を発症した。鼻水が出て、熱もあったのでちょっと風邪でも引いたのかと思った。町医者に行って風邪薬を貰って飲んだが、一週間経っても改善しない。体温は平熱になったが、咳が止まらない。睡眠に支障が生じて仕事に行けない状態になった。町医者では頼りないので喘息の治療に詳しい病院を探した。
二年前に仙人小屋に宿泊してくれた医師が開業している病院が比較的近い住所だったので診察して貰った。結果はアレルギー性の喘息という診断だった。医師は山小屋のような空気の澄んだ所に居れば発症しないんだよ。
「高橋さん、ずーっと小屋に居れば……」とアドバイスをしてくれるのだった。
できれば、そうしたい。一年、四季を通して山で暮らせれば、本当の仙人になれそうだ。が、冬の黒部川流域は人を寄せ付けない。仕方なく6月の下旬までは空気の汚れた街で生活をする。 無菌状態の山小屋から所沢の自宅に帰ると程なくして咳が出る。三週間は続く咳に苦しめられていた。 三年間そんな状態が続いていたのだ。 喘息の吸入薬と飲み薬を服用して作業をしたのだが、現場で埃を吸い込むと夜に咳が出る。3日間仕事をすると4日目は作業が辛い。
これではいかん、と一念発起して治療に専念する事にした。三週間の年末年始休暇を確保してひたすら安静を心がけた。薬の効果と相まったものか、大変楽になった。夜は安眠できるし、早足の散歩をしても咳こまない。一時は気管支の辺りで木枯らしに似た音がしていたのも、感じなくなった。健康が戻ると貧乏な生活が苦にならない。身体の調子が良いと心の状態もよくなるのが何よりだ。 三週間何もしないで寝て暮らした。
正月はあっという間に過ぎた。まっこと、歳月は人を待たないのである。であるからこそ、残された人生の年月を有意義に過ごさなければと思う。貧者としての有意義な人生。それは、食うことを楽しむ、ぐらいしか頭に浮かばない。物心ついた時には極貧の生活だったので、贅沢をしたことがない。恥ずかしい話しだが、高橋仙人は飛行機に乗ったことが無い。飛行機は見上げるばかりで、貧者には手の届かない乗り物だった。遊園地の飛行機にも乗ったことがなかつたのだ。
貧乏人の楽しみと言えば、飯を腹いっぱい食うことだったね。小学生の頃は米が食えなくて麦が主食だった。押し麦と言ってね。大麦を平たくして乾燥させた物なんだ。炊きたては何とか食えるが、冷たくなるとなかなか喉を通らない。昼飯は味噌を塗った麦のおにぎりが一つだけ。子供心にも侘びしいと思う食事だった。夜はうどんで麦飯を食うか水団だった。水団は「すいとん」と読む。どんなものかと言えば、小麦粉に水を加えて団子状にして、ニンジン、ゴボウなどと煮て醤油で味付けをした汁なのですぞ。戦争中の食べ物を戦後も食っていたのですよ。
中学校を卒業して就職すると自分の働いた金で美味い物を食えるようになった。ラーメンの大盛を食うのが楽しみだった。当時は札幌ラーメン店が東京に進出していた。それまでは中華ソバが主流だった。ナルト、ノリ、シナチク、小振りのチャーシュウのシンプルなラーメンと違って、札幌ラーメンは丼がでかい。麺が太目で噛み応えがある。もやしの歯触りがシャキシャキして食感がいい。チャーシュウが分厚くてドロリとしている。ひとかけらのバターが味噌のスープに溶けて美味い。最後の一滴まで啜った記憶が生々しい。65歳になろうとしている今も、外食の時はまずラーメン店を探すのが常だ。
ラーメンの次に大好きなのは、魚。なけなしの金をやりくりして月に一度寿司屋でトロを一人前頼むのが楽しみだった。何と言っても米だけで握ってあるシャリが甘酸っぱくて美味い。麦飯とはエライ違いだ。トロを奥歯で噛むとグキグキと音がする。滋養に満ちた脂が口中に広がる。生ワサビの香りがツンと鼻に抜ける。16歳の少年は満足して、寿司屋で一人得心したのだった。今でもよく寿司を食う。スーパーのにぎり寿司と回転寿司ばかりだが、味も値段も手頃なので安心して食える。スーパーでは刺身も買うが、満足できる物は少ない。
山小屋の会合で富山県に行くことが多い。魚を食う機会が増える。富山の魚は美味い。所沢のスーパーとは格段に鮮度も味も違う。黒部市の国道沿い、黒部署の近くにキトキト寿司という回転寿司屋がある。キトキトとは新鮮という方言だ。その看板に偽りはない。ネタが良いので何を食ってもハズレがない。あら汁もコクがある。富山県から自宅に戻ると、暫くはスーパーの刺身を買う気になれない。
山小屋暮らしをしている間は本格的なラーメンの食えないのが辛い。刺身はスタッフが冷凍して担ぎ上げてくれるので、マグロ、カツオ、タイと好物が味わえる。二週間ごとに刺身で一杯やれるのが、小屋暮らしの楽しみなのだ。人間ばかりでなく、動物も空腹だと姿が見すぼらしい。7年前に山の木の実がまったく無い年があった。秋に山小屋近くを力なくうろついて餌を探していたクマは、痩せ衰えて犬に近い姿になっていた。山に餌のない年はクマが里に降りて徘徊をする。柿やリンゴに手を出すクマは駆除されてしまうよね。人間の勝手だけどね。
木の実と違って春の山菜はクマやカモシカの餌として安定している。仙人谷の雪解けは遅い。6月にならなければ山菜は芽吹かない。春の訪れが遅いだけに、芽吹き出すとなにもかにもが一斉だ。フキ、ウド、ゼンマイ、ワラビ、イヌドウナ、ヤマブキショウマ、ハリギリ、コシアブラ、ネマガリタケが食べきれない程採れる。
若い頃は苦味のある山菜は美味いと思えなかった。が40代半ばになるとその苦味を味わうのが待ち遠しくなるから不思議だ。フキ味噌とフキノトウの天ぷらは春先に必ず食べる。そして、春を実感するのだ。 山菜、イワナ、キノコの料理方法は次回に紹介したい。
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