男のロマン、女のフマン

田中正祐紀 2019年4月28日掲載 E-64

 昨年の仙人温泉小屋忘年会で、夢みたいな話をしていたKさんが、「男のロマン」 と言うと、すかさず、高橋仙人とKさんが「女のフマン」と受けて、大爆笑になった。 この忘年会に集まった男と女にとっては、身に覚えのある本音だったようで、この言葉を噛みしめながらの散会となった。

 旦那が、いつかは『あれ』をやってみたいと心に決めて、秘かに計画を練っているとしよう。 『あれ』とは、冒険やギャンブルなどのように日常生活とは異なり、命の危険などのリスクや、過剰な出費を伴う行動である。 たいていの男は、それを思うだけでロマンを感じてしまう。 やがて機が熟し、『あれ』を実行に移す時が来る。 そのためには、女房に相談して了解をもらわなければならない。 でも女は、それを非現実的だという理由で大反対。 不満たらたらの状態になった。 こうして男の夢は打ち砕かれて、現実に引きずり戻されてしまう。 このまま女房の反対を無視して、 夢に向かって突っ走ると、夫婦間が険悪になり、やがて離婚へと続く道筋が見える。 こんな無謀なことはできないと分かっているから、潔く諦めるしかない。 でも『あれ』を女房に相談しただけで、不機嫌になるとはどういうことだ。 キッパリやめると 言ったにもかかわらず、険悪な雰囲気が続くのはどういうことだ。 そもそも、『あれ』を口にしたことが、悪かったのか。 こうして旦那は悩み続けることになる。

 あなたもこんな経験をお持ちでしょうか。 それにしても「男のロマン、女のフマン」 は言い得て妙ですね。

 さて、小生にも苦い経験がありました。 でも、その経験から、浪漫と不満の折り合う点はないかを探し続けました。 そして、約10年かけて自分なりの結論にたどり着きました。 ご参考になるかどうか分かりませんが、女房には内緒で、2例を報告させていただきます。

 1つ目の『あれ』は、『ホノルルマラソンに参加する』こと。

 小生は登山の体力不足を補うためにジョギングを始めた。 その3年後にフルマラソンを完走した。 この時、実に自然に、いつかホノルルを走りたいと思った。 当時の計画は、次の通り。

  ・小生だけでハワイに10日間ぐらい滞在する。

  ・登山用テントで野宿し、レンタサイクルを足にして、オアフ島を巡る。

  ・最後の日にホノルルマラソンを走り、ホテル泊で体をきれいにして帰国する。

 当時は、テントを自転車に積んで、3泊ぐらい野宿しての遠距離ツーリングを楽しんでいた。 加えて、女房に相談したときの最大の関門が費用だと考えて、チープ かつワイルドな計画となった。 多分この計画を、そのままストレートに伝えたら、即、 却下か、「勝手にすれば」の一言で、不仲が続くことが十分に予測できた。 だから、ソフトな感じで「いつかホノルルマラソンを走りたいな~」と願望のようにつぶやくだ けに留めていた。

 やがて、時は流れ、フルマラソンの国内完走回数だけが増えていく。 折り合いのつけ方として、『家族でハワイに行き、小生のみマラソンを走る』を提案。 費用が4倍以上になるにも拘わらず、女房も賛意を示す。 しかし、ホノ ルルマラソンが12月開催では、当時学生だった長男は行けないので、春休みに変更。 必然的に、マラソンコースを小生が走り、3人は自転車で並走という案になった。 こうしてハワイツアーを申し込んだが、諸事情で中止となった。

 さらに時は流れ、小生も還暦を迎え、フルマラソンも10回目を完走していた。 今度こそハワイを走ろうと決心した。 女房は体力はあるものの、走ることが嫌いで、マラソン経験は ない。 そこで、ホノルルマラソンは時間制限がないので、歩いても完走できると言い、一緒 に参加しないかと誘った。 女房は海外に行ったことがないので、ハワイ観光がメインでマラソンはおまけ程度で、途中 棄権もできると説明。 さらに、HISの企画するツアーパックな ら、ホテルもマラソンもお任せなので安心だと言った。 そして、女房の知り合いでホノルル マラソン経験者の話を聞いたりして、ついに2人でマラソンにエントリーしたのである。

 2017年12月10日、朝5時から7時間をかけて完走した。 途中、歩いたところもあったが、2人同時のゴールだった。 女房は合わない靴で、足が血まみれになったが、それを上回る経験をしたようで、翌年の春に足に合ったランニングシューズを買って、国内のフルマラ ソンを走った。 なんと小生より5分早くゴールしていた。

 2つ目の『あれ』は、『ニュージーランドのミルフォードトラックを歩く』こと。

 登山を趣味にしていると、海外の山の情報もネットでチェックしたりする。 「世界で一番美しい散歩道」という文字が目に飛び込んだ瞬間から、ミルフォードトラックが気になって仕方がない。 詳しく調べてみると、1日に歩ける登山者の数に制限があり、一方通行の一本道、宿泊した小屋から次の小屋まで、その日の内に歩かなければならない、などのルールがあることが分かった。 世界各国から事前に予約した人だけが歩けるシステムになっていて、個人ウォークとガイドウォークに分かれている。 この頃、小生はソロ用テントと食料を担いで、山に泊まることを楽しみにしていた。 テン泊禁止の場合は小屋に泊まるが、テン場があれば積極的に利用していた。 当時の計画は、次の通り。

  ・小生だけでニュージーランドに10日間ぐらい滞在する。

  ・クィーンズタウンで5日分の食料(ドライフーズなど)を買って、個人ウォークに参加する。

  ・小屋で自炊し、持参した寝袋で寝る。

  ・最後は、ホテルに泊まって、きれいになってから帰国する。

 実は、小生は、この計画を長い間、女房に話せなかった。 登山をしない女房には、到底、理解してもらえないからである。 でも、運命のいたずらかどうか分からないが、ある時、高橋仙人が 「田中さんの奥さんも小屋に連れて来たら?」と言った。 多分、旦那がスタッフとして通い詰めている小屋を、奥さんに知ってもらっておいた方がいいとの考慮かもしれない が、真意のほどは分からない。 小屋の手伝いを終えて自宅に帰ると、「高橋仙人が小屋に一度、来てほしいと言っているよ」と女房に話した。 どんな所なのか? どのように行くのか? 何をするのか?などの質問に答えた結果、女房がその気になった。 3年前に長男が小屋の手伝いをして、楽しい所だったと聞いていたので、その効果かもしれないが、真意のほどは分からない。

 2014年8月11日、女房は仙人温泉小屋に行った。初めての登山だった。 2泊3日の間に愉快なお客さんが泊まり、ヘリが飛んできて、仙人峠で裏剣を見た。 この後、女房の趣味に登山が追加された。 小生も女房の登山に付き合っているうちに、単独行から夫婦登山へと変化していった。 驚いたことに、女房も小屋のスタッフになっていた。

 おのずと機は熟した。 ホノルルマラソンから帰国し、年が変わった正月に、ニュ ージーランド登山の話をした。 ずっと前からの夢だったこと。 どのような場所でいつ行くのか? 費用はどのくらいか?などを説明。 一番の難問は、個人ウォークとガイドウォークのどちらを選択するかだ。

 ガイドウォークは、その名の通りプロガイドが案内してくれる。ホテル並みの設備の小屋で3食付き。 強力な乾燥室があり、その日の衣類を洗濯すると乾くので、翌日に着ることも可能。 つまり、ザックの中身が極端に少なく、30リットルぐらいのデイパックで歩ける。 定員50名の参加者は、クィーンズタウンからバスでアクセスポイントまで送迎され、山旅が終わると、ミルフォードサウンドのクルージングがある。 個人ウォークは大きなザックに食料と衣類、寝袋などを詰め込まなければならないが、ガイドウォークは身軽に歩けるのである。 そのかわり、費用は約5倍の差がある。 同じ道を歩くのに、貴族と平民ほどの極端な違いがある。 泊まる宿も違う。

 小生は一縷の望みをかけて、女房に丹念に説明したが、案の定、個人ウォークは無理、 ガイドウォークでないと行かないという。 男のロマンが後退していくのを感じながら、 24万円/人もするガイドウォークを2人分申し込んだ。

 こうして2018年11月30日~12月4日、世界で一番美しい散歩道を、自分たちの足で歩いたのである。 事前に雨が多いと聞いていたが、 なんとか天候に恵まれ、フィヨ ルドの渓谷のスケールの大きさを堪能した。

 以上の2例から導き出された 男のロマンを実現可能にする 条件は

  1)すぐに口にしないで、辛抱強く機会を待つ

  2)現実的な妥協をし、ロマン度が下がっても、そのぐらいでいいやと納得する

  3)女を巻き込む努力を続ける

 どうですか? まったく参考にならない! 軟弱者や老人のすることだ!  恐れ入りました。 その意気込みで己の人生を、男らしく突き進んでください。

 小生は、2つの『あれ』を女房と経験できたことを、運命の贈り物のように感じています。 61才になって、ささやかですが10年来の夢を実行して、もう死んでもいいとは思いませんが、とても満たされた気持ちになっています。 登山をして、仙人温泉小屋にたどり着き、ジョギングして、マラソンに挑戦しました。 出会った自然や人々に感謝あるのみです。 これからも身の丈に合ったロマンを、体が動く限り、追い続けたいと考えています。

仙人温泉小屋

北アルプスの山小屋【休業中】です。 上は剱岳、下は黒部川、その中腹にあります。 仙人谷の噴気孔から温泉を引きます。 雪深いため夏期のみの運営になります。