小屋番日記 2015年7月18日~9月18日

高橋仙人 2015年9月27日掲載 T-163

7月18日 雨

5時に目が覚めた。道路が濡れている。台風は衰えて日本海をうろついている。雨足は強くないので、予定通り出発をする。定刻の9時半に黒部川と仙人谷の合流点から小屋に向かって歩き出した。2時間歩くと山道は消えて、雪渓上を歩かなければならない。小屋まで30分ほど雪渓歩きが続く。谷にはギボシ、クルマユリ、キヌガサソウ、カタクリの花が咲いている。小屋には12時半についた。簡単な昼食を済ませて温泉工事にとりかかる。小森、田中の両名が段取りをしてくれていたので、4時に温泉が使用できるようになった。雨が上がったので全員で温泉に入る。露天風呂の記念写真を撮って夕食にする。温泉の開通を祝って乾杯をした。

7月19日 雨

夜半は強い雨の音がした。が、です。疲れていたので外を見ることもなく、眠り続けた。スタッフだけの時は7時が朝食タイム。雨では外仕事ができないので、ビールと日本酒をゆっくり飲んだ。昼食が終わる頃、TOさんが到着。皆で歓談をして風呂に入ったり昼寝をして夕暮れまでつかの間の休日を過ごす。堀江さんが雨の止み間を見て食堂のドア―を取り付けてくれた。夕食は大鍋のコ―ンチャウダ―と残りのカレーで済ませた。夜になっても細かい雨が降っている。

7月20日 晴れ

今日は大阪の大西さんと東京の堀江さんが下山する日だ。二人とも自宅にもどれば、35℃を越える真夏日が待っている。晴れると山小屋での仕事は俄かに多くなる。洗濯、布団干し、小屋の修理、登山道の草刈り。目が回るくらいの忙しさだ。

7月21日 快晴

雲一つない青空と言うにふさわしい天気だ。このまま10日ほど晴れの日が続いてくれることを祈る。6時に下山する田中さんと入れ変わりで新人のスタッフが来山。女性なので雪渓の切れ目まで迎えに行った。小屋を留守にしている間に予約のNさんが到着していた。常連さんなので夕食はスタッフと同じの賄い食でも我慢してくれそうだったが、いつも通りの夕食を用意できた。

7月22日 晴れ

暑い。山小屋にいても炎天下の仕事は暑い。無理をすると熱中症になりそうなので、水分補給と休息を心がけた。新人スタッフは宿泊者のNさんと仙人峠まで出かけた。天気予報では昼から雨になりそうだったが、パラパラと降っただけで夜まで曇り空のままだった。小森さんは登山道整備。仙人は女湯の屋根工事。と食堂棟の修理のために、ワイヤーロープを30メートル用意した。天気が安定したら大工事の始まりだ。明日は朝から雨の予報なので、日陰のリンドウを移植した。

7月23日 大雨

夜半にトタン屋根を叩く雨の音で目が覚めた。新人の下山日なので心配になったが、すぐに深い眠りに落ちた。6時の朝食を済ませて、1時間ほど眠った。雨は強くなったり弱くなったりだが、間断なく降っている。スタッフのM子さんの下山日だが、生憎の天気になってしまった。雨の様子を見ながら、11時にM子さんは出発した。雪渓から登山道の登り口の状態が心配だったので、見送りに行った。雨が止まなかったので、本日の作業は終了してビールを飲んだ。長い昼食を終えて風呂に入った。何時でも、好きな時に風呂で汗をながせるのは嬉しい限りだよ。

7月24日 雨のち曇り

5時に起床。雨は間断なく降っている。水も湯も止まっているが、宿泊者がいないので、焦らない。ちょっとだけビールと日本酒を飲んで7時半に水の修理に出かける。小森さんは湯の修理と、登山道の整備。水と湯が正常になったのが12時半。14時まで昼休みをして、午後の仕事に出る。雨は上がって陽射しが戻る。雨に濡れてする仕事より青空のしたで身体を動かした方が健康的だよ。仕事を終えたのが17時。それから洗濯、炊事を掛け持ちでこなす。19時に全てを終えて晩酌。だが、ですよ。疲れちゃってね。幾らも飲まないうちに眠くなりました。

7月25日 薄曇り

夕べは唐松と白馬岳の小屋の灯が久しぶりに見えた。天気は回復しているようだ。台風12号の影響は少なくて済みそうなのが嬉しいね。深夜に水が止まった。宿泊者がいないので明るくなるまで布団の中でまどろんだ。5時に水の修理に行く。割と短時間で直った。朝飯前の工事なので身体は楽だった。宿泊棟の棚を作っていると10時に池の平小屋のスタッフが下山途中で立ち寄った。14時に当小屋のスタッフ、原田さん到着。一風呂浴びてから、棚作りを手伝って貰った。一人より二人の方が作業は速い。17時に三カ所が仕上がった。原田さんが担ぎ上げたハタハタと、自家製の枝豆で晩酌をする。話が弾んで少し、飲み過ぎた。

7月26日 晴れ

5時に起床。台風12号が27日に日本海に入って来ると言う予報なので、厭なムードだ。本日が食堂棟の大改修工事の初日なので、せめて3日間は晴れて欲しかった。原田さんが屋根はがしを積極的にしてくれたので段取りが良い方向に廻り出した。仙人は壁はがしと柱の補強。手押し機械で建物の傾きを修正する準備。原田さんと二人でワイヤーを梁に巻いてチールホールと言う手押し機械で引く。わずかずつだが、建物が動き始めた。少しずつ、少しずつ慎重に引っ張る。1時間引くと20センチは戻った。直る、と言う感触が機械を通して身体一杯に感じられる。チールホールをもう一台追加して違う角度からも引く。じわりじわりと建物が正常の姿に近づいてくる。嬉しいよ。もう修理が完成するのは時間の問題だ、と思えてくる。ほっとしたのが16時半。剥がした屋根にシ―トをかける。壁にもシ―トをかける。雨仕舞いが終わった頃、小森さんが帰って来た。風呂に入る。夕食の用意をする。洗濯をする。それからビール。日本酒を飲むとどっと疲れが出て眠くなる。20時15分消灯。

7月27日 晴れ

台風崩れの熱低が午後に近づくらしい。雨が心配だ。午前中になんとか格好をつけなければ……。と思っていたら暑いのなんのって、もうやってられません。ギブアップ寸前です。日差しの強い屋根の上で仕事をするのは辛い。脚立に登ったり降りたりの回数が増えると、気力が萎えて横になろうかと思っちゃうね。どうやら雨は夕方まで持ちそうだ。降らない間に屋根廻りの工事は終わらしたい。危険な仕事なので、闇雲に急げばいいと言うものではない。慎重、かつ迅速でなければならない。昼に傾きは概ね修正できた。もう少し修正したいが、雨仕舞いができないので断念した。これからが手間のかかる仕事なのだ。床の張り替え、壁の補修、棚の作り替えで二週間は欲しい。が与えられた日数は6日間。どこかで妥協しなければならない。とにかく、小屋が倒壊しない程度に留めておこう。予約の宿泊者のために営業を開始できるようにしよう。

7月28日 雨

午前2時過ぎだった。雷を伴った雨が降り出した。小便をしてまた、眠った。疲れていたので6時までぐっすり寝た。雨は小降りながら、止む気配はない。朝飯はビールを飲みながらゆっくり9時までたのしんだ。洗濯物を干して、今日の予定を考えよう。10時頃、池の平小屋から欅平に下山する単独の登山者が立ち寄った。その後ろ姿を見送ってから温泉の修理に行く。それにしても雪渓の残り具合が異常だ。雨が少ないためなのか、なかなか溶けない。温泉と小屋の行き来は楽だが、登山者は雪渓と登山道の使い分けに苦労しそうだ。12時前に小屋に帰って、風呂の掃除をした。小森さんが明日下山なので、今日は池の平小屋までハイキングに行っている。帰ったらすぐ風呂に入れるように、準備をしてから昼飯を食った。壁の工事を始めた時に小森さん帰着。と同時に小雨が降り出す。交互に風呂に入ってからビールを飲む。日本酒も飲むと、18時前に酔ってしまった。6時半、小森さん就寝。仙人は室内の壁を解体する。少し残業になったが、明日のために頑張った。

7月29日 晴れ

本日は16日間滞在して登山道整備をしてくれた小森さんの下山日だ。天気予報では一週間は晴れマ―クが続いている。登山道が開通するのは8月1日なので、それまでには荒仕事を終わらせたい。一人では厳しい 工程だけれど、まだガッツは衰えていない。小森さんが小屋覗きのピークを越えたのを見送ってから朝食を済ませた。すぐに床の張り替え作業を始める。朽ちた床材を袋に詰めて焼却所まで運ぶ。コンクリートを練って床の基礎を作る。十二カ所なので、コンクリートが足らなくならないように気を使った。13時半に基礎工事は終わった。遅い昼飯は生卵入りの即席ラーメン。少し横になって休息をする。田中さんが明日から応援に来てくれるので心に余裕ができた。一人でも完遂させる覚悟はしている。が、だね。炊事、洗濯、ゴミ焼却、布団干し、そして大工事。身体が悲鳴を上げちゃうね。16時半、作業終了。風呂に入ってビールを飲む。切り干し大根を煮る。レンジで温めるだけの餃子とお湯で温めるだけのおでんを肴に19時まで飲む。もう眠くなったので消灯。

7月30日 小雨

全国的に晴れると言う天気予報なので多少の雨は心配でない。粛々と改築工事を進めるだけだ。5時半に起床。小便をして発電機を回す。朝食は切り干し大根と豆腐の味噌汁。ビールに日本酒一合。飯少々。食器を洗って8時まで休息。受付室の床を張り出したのが8時半。意外と手こずって、終了したのが11時。簡単ではありません。喉が渇いたのでビールを二本飲んだ。アルコール無しでは過ごせないのが、山小屋生活でしょうか。食堂の床を解体し始めたのが14時。程なくして群馬の田中さん到着。すぐに風呂をと勧めて、仕事を続行する。やり切れない工事ではあるが、力の限り勤めなければ闘魂が泣いてしまうぜよ。田中さんに夕食の用意をして貰って、17時ギリギリまで働く。一歩でも二歩でも先に進まなければならない。汗をかいた後のビールは美味い。風呂前に二本、風呂上がりに二本飲んでしまった。田中さんは20時過ぎに就寝。食器の片付けをして、仙人も20時半に消灯。雲切り尾根に月が昇っていた。

7月31日 晴れ

異常な暑さだ。白馬岳から唐松岳まで靄とも霞とも言えない水蒸気がどんよりと停滞している。6時半から朝食タイム。7時半から横になって、朝の休息。8時半から作業開始。食堂の床を撤去して基礎を打ち直し。根太を引いて床材を張る。言えば簡単なのだが、廃材の処理、基礎のコンクリート練り。その合間に洗濯。ガソリンをヘリポートから下ろす作業。床材もヘリポートから下げる。結構忙しい。ヘリポートから合板を担ぎおろしていると、本日の宿泊者が到着。真砂沢ロッジから5時間とは早足だね。12時半にソ―メンで昼食。30分横になって工事続行。室内の仕事だが汗が止まらない。熱中症一歩手前の状態だよ。16時まで働いてから宿泊者の食事を作る。田中さんと交互に入浴をして、17時半から夕食開始。結構飲んで、何時に寝たのか思い出せない。

8月1日 晴れ

天気が安定しているので、作業計画が立てやすい。本日は食堂の床を仕上げたい、と思う。宿泊者は5時に出発した。昨日の疲労が抜けていないので、元気が回復するまで布団の中で微睡んだ。7時半に朝食を終えたが、8時半まで横になっていた。田中さんが布団を干し出した音が聞こえたので、エイッと気合いを入れて起床する。宿泊棟の布団を干して食堂の床張り工事に取りかかる。昨日のダメ直しをしながら、壁の補修は田中さんにお願いする。床の撤去をしてゴミ掃除が終了したところで、昼飯。食堂でビールを飲んでいると、M子さんが到着、程なくして大西さん、TOさんが暑い、と言いながら到着。昨日から一週間が暑さのピークだろうよ。午後からは屋根を剥がして再度小屋の傾きを補正した。大西さんと二人でチルホールを引くと傾きはほぼ直った。夕食はM子さんに任せていたので、目一杯作業に集中できたのが良かった。少しずつ懸案が解決していくのが嬉しい。が、ですよ。まだ道は半ばなのです。気合いを入れ直してまた、明日から老体に鞭を入れながら頑張るのみです。

8月2日 晴れ

疲れて起きられない。応援スタッフが4人いるので、甘えてゆっくり眠った。5時半まで眠って、6時に起床。宿泊者がいるときは3時起床なので、今朝は非常に身体が楽だった。7時50分から作業開始。へし折れた母屋の補強が大変なのですよ。屋根を剥がして、折れた角材に並べて亀裂のない角材を横付けにする。それを二カ所。9時になるとトタン屋根が焼けて息苦しくなる。水分を充分に補給しながらの工事だ。大西さんが下山する時までに補強工事は終了した。丁度休憩時間だったので屋根から室内に移動した。炎天下では30℃の暑さだが、食堂は24℃。汗が引いていく。山の魅力はこの冷涼感にあるよね。大西さんが下山するのと入れ替わりに、仙人池の若き経営者が様子を見に来てくれた。同業者なので、水面下の軋轢はある。が、そんなことは人生の大問題にはならない。同じ山の水と風を糧として生きている人種なのだから、いがみ合っている場合ではない。11時半にTO、M子さんが下山する。予約の宿泊者があるので、作業を急がなければならない。床張り工事を速やかに、妥協しながら良い加減に切り上げて、昼食にする。14時半から屋根の工事を再開する。14時を過ぎると、ぐっと過ごしやすくなる。工事も順調に終わる頃、4人の宿泊者が到着。18時に夕食を開始して、20時に消灯。倒れる寸前の疲労が蓄積しているので、布団に倒れ込んで寝た。

8月3日 晴れ

昨夕、ちょっと雨が降った。が、朝は快晴だ。今日も暑くなりそうな気がする。田中さんは6時に下山。宿泊者は7時に出立。静かになった小屋でつらつら考えた。限界を越えるまで動いてはいけない。身体が休息を要求している時は素直に従おう。何事も、もう一人の自分と相談しなければならない。11時に大阪の上田さん到着。毎年来てくれている常連さんだ。御年81歳、元気だ。俺はその年齢で山を歩けるだろうか?と、不安になる。程なく予約の高市さん、予約なしの高畑さん到着。今日は工事はできそうにない。塩素滅菌用の水槽を設置して作業終了。登山者と酒を飲みながら16時まで歓談をする。椅子にもたれてウトウトしてしまった。さあ、夕食の支度を始めよう。三人前の夕食なので16時半からの開始で間に合う。一杯飲みながらの調理だが、大過なく仕上がる。17時50分に宿泊者が食堂に集う。山の話に花が咲いて盛り上がった。明日は4時の食事なので皆20時の消灯を、心よく受け入れて貰えた。

8月4日 晴れ

猛暑が続いている。エルニ―ニョ現象で冷夏になりそうな予想だったが、現実は裏腹の状態だね。明日がヘリの日なので晴れの天気が続くのはありがたい。衛星電話の調子が悪い。電話連絡が生命線なのでちょっと気がかりだ。来年は衛星電話も一台用意しよう。 山小屋では何でも二台用意しなければならない。ガスコンロ、発電機、インパクトドリル、冷凍庫、洗濯機、etc.……。スペアが用意できる物はいいが、小屋番はスペア無しだ。3時に起床して4時に朝食を開始。欅平まで帰る人は朝が早い。5時半までに皆出発した。眠いけれど食器洗い、ゴミ燃やし、洗濯、朝酒、朝風呂、そして一時間程朝寝をしなければ、身体が持たない。ウトウトしてはっと目が覚めた。明日はヘリの荷揚げで忙しい。そこへ巡り合わせが悪く、保健所の巡回日が重なった。ヘリの荷揚げが最優先仕事だ。保健所の職員とヘリの来るのが同時でない事を祈るのみです。玄関横の柱を二本入れ替えた。次に衛星電話を置いてある棚と窓を撤去。もう一本柱を入れて窓枠を固定する。さらに梁を受ける柱を入れ替える。28年間、黒部の風雪を耐えた土台と柱はもう朽ちて、寿命を全うしていた。更にもう一本柱を入れ替えた時に、予約の登山者が到着。そして予約無しの単独の登山者が到着。もう仕事所ではない。遅い昼飯を食って、少しだけ明日の準備をする。ふうっとため息を一つして時計を見ると、15時だった。風呂に入って清潔な身体で、夕食の用意をしよう。それにしても、暑い日が続くね。女性二名の宿泊者が風呂から出る頃、予約無しの登山者が来る。一時間後に予約の三名に予約なしの一名が到着。合計7人の宿泊。16時から夕食の仕込みをする。以前45人の宿泊者を独りで捌いた事があるので、7人程度は鼻歌だね。ビールを飲みながら17時半、夕食は整った。食事ですよ~と声をかけて、定刻の18時に夕食開始。さあ、俺も宿泊者の仲間に入って一杯飲むか、ビールを一口飲んだ時に宿泊希望の登山者。素泊まりなら許せるけれど、食事も頼みたい、と言い張る。初めの宿泊者が食事をおえる19時からの食事になるよ!それまで風呂に入っていてくれ、と言い放って二回戦目の仕込み。一人分なので苦労なく出来た。遅い夕食が済むともう17時45分が過ぎていた。少し大急ぎで洗い物をして21時消灯。

8月5日 晴れ

朝食が5時半だったので、身体はキツくなかった。余裕とまでは言えないが、定刻には食事の用意が間に合った。宿泊者の食事が終了して片付け前にビールを飲みだしたら、保健所の担当者が到着。7時だったので面食らったが、いつものフットワークで指摘事項無しで済んだ。やれやれで朝食がてらビールを飲み出すと、山小屋専門の食品会社から電話。荷揚げのヘリが運搬を開始したようだ。荷物を受け取れば、しばらくは心安らかに営業できる。少しでも体力を温存するために、横になってヘリを待つ。立ち寄りの入浴者に登山道の状況を説明していると、仙人谷に響くヘリの爆音。来ました。荷物が到着です。今日は昼頃に雲が出ると言う予報なので、早い時間に来てくれて大助かりです。取りあえず冷凍食品を小屋に運んで、冷凍庫に収める。発電機を回す。次は野菜、卵、ビール、米、雑品の順で小屋に運び入れる。往復16回、300キロの荷物は老体に応えるよ。くたびれたので横になって身体を休めていると、予約の北本さん到着。程なくして予約なしの登山者が宿泊。二人分の食事なら17時時からでも間に合う。15時から16時まで休憩。疲労のせいなのか、小便は真っ黄色。明日から小屋の修理を頑張るために体力を温存しなければと、思う。15時半に雷が鳴って雨がざあっと降った。夕食が終了する頃には雨は上がった。目をつぶればそのま寝込んでしまいそうだったので、20時に消灯した。銀河の美しい夜だった。

8月6日 晴れ

欅平に帰る宿泊者は朝食が4時。阿曽原までの人は6時の朝食を依頼する人が多い。4時の朝食は3時に起床して間に合わせる。6時の朝食までは、少し横になる。二時間のズレがあるのは辛いが、宿泊者の意向が最優先なのですよ。昨晩から衛星電話が繋がらない。ドコモの時も電波障害はあつたが、ソフトバンクの衛星電話は1ヶ月に6日間は通じない。これでは山小屋の維持ができませんね。来年はまた、ドコモと契約するよ。7時半から調理場の棚を作った。4段の棚を作るのに9時半までかかった。衛星電話が気になって、思うような仕事ができない。こんな時は先を急いではいけない。余裕を持って事に当たらないと、事故を起こしかねない。休憩時間にビールを3本飲んでしまった。電話が繋がらないので、素面ではいられない。極力気にしないようにして作業を続ける。西側の壁は現在無し。天気が安定しているので仮囲いでしのげるけれど、何時までも晴れてくれるとは限らない。材料を使い切るまでは、労を惜しまずに働くよ。梁を支える柱は15時までに入った。補強の小壁を柱にビス止めして本日の作業終了。洗濯物を干して、休憩をする。夏の高校野球が始まった。ビールを飲んで観戦をする。予約の登山者は来そうにない。電話が通じないので、キャンセルがあっても解らない。17時から3時間発電機を回す。冷凍食品のためだ。20時ちょっと前にウトウトしたが、薬師寺の大講堂の復元工事を21時まで見た。木造建築が千年を超えて寿命を保つ、というのが不思議だ。山小屋はせいぜい40年の命たからね。温泉の出が悪いので、明日早朝に修理をしよう。

8月7日 晴れ

空は晴れても心は闇だ、と言う有名なフレーズがある。まさしく、今の俺の心境にぴったりだよ。電話が不通だ。40時間もだ。ソフトバンクが悪いのか、こちらの電話機がおかしいのか?。確かめる術がない。4時に目が覚めた。外はまだ暗い。日の出が大分遅くなった。温泉の出が悪いので修理に出かける。小屋を留守にするのは早朝に限る。7時半になると下山者がトイレを借りに来る。風呂に入りたいと言う人も多い。なるべく対応しなければ、と思う。温泉の修理は、噴気口に供給する水を調整して終わった。今までの経験で、おおよその様子は現地に行かなくても想像はできる。修理を終えて沢沿いのフキを採りながら、雪渓上を歩いて帰った。日当たりの良い沢の斜面にシラネアオイが咲き出した。小屋で温泉の出湯量を確認して朝食にした。少し飲んで、洗濯をしながら9時まで休憩をした。比較的涼しい内にヘリポ―トの材木を小屋まで下ろす。直径10センチ、長さ4メートルの丸太を12本担いだ。本職が配管屋なので、担ぎものは苦にはらない。まずは玄関の袖壁の加工をする。次に調理場の壁。ここは18本の丸太を切断したので時間がかかった。それにしても、暑い。山小屋にいても頭がクラクラするよ。程ほどにして、昼飯にした。ビールが1本では足りなかった。日本酒も少し飲んで、ソ―メンを200グラム食った。暑い盛りの仕事は身体に毒なので4時まで昼寝をする。14時を過ぎると大分凌ぎやすくなる。調理場の丸太に12ミリの合板をはる。続いて調理棚の土台を設置する。そして受付所の小壁の丸太をはめ込む。気が付けば、17時ちょっと前だった。我ながら良くやった、と思える。明日も晴れのようなので、また頑張れそうたぜ。20時になって衛星電話が繋がった。50時間不通だった。商売に支障があるので、早急にドコモの衛星電話を用意する段取りをした。21時消灯。

8月8日 晴れ

もう二週間晴れの日が続いている。お陰さまで小屋の修理は順調だ。8時過ぎると暑くなるので涼しい内にゴミを燃やし、風呂の掃除をした。ついでにヘリポ―トから丸太を小屋に運び込む。それだけで大汗がでる。8時から1時間、高校野球を観戦する。巷間騒がれている早稲田実業の試合だ。9時から作業開始。まずは丸太を6本加工して壁を作る。その丸太に合板をビス止めする。そして防水シ―トを貼る。最後に波トタンを固定すれば、壁は仕上がる。西側の壁はほぼ見通しがついた。後は北側の壁に一週間程だろうか。それに細かいダメ直しで一週間。まだまだ気を緩められない日々が続く。作業に気合いの入った9時半に男3人組が宿泊申し込み。たまには朝からのんびりしたいんだと。作業の切りが良かったので、11時から昼食。腹一杯食ってさあ、午後の作業開始と思ったら予約の2人組と飛び込みの2人組が宿泊。もう一人予約があるのだが、2日間電話が不通だったのでどうなっているのやら。予約のあった単独の女性登山者も15時に到着。この時間帯までに顔を見せてくれれば、食事はスムーズに用意できる。米を炊飯器にセットして、味噌汁の鍋をガス台に乗せ、天ぷらの材料を用意する。お茶を沸かし、テーブルに食器をセットする。14年間の経験があるので澱みがない。夕食の定刻は18時だが、30分早くスタートした。が、ですよ。全員が食事を始めた時に、今日、宿泊お願いします、食事もです。と言って単独の登山者が来た。本心をぶちまけると「ふざけるな、今頃来たってメジャーなんかあるわけねえだろう、オオバカヤロウ」と怒鳴りつけたい所だが、コチトラ至って気が弱い。「じゃあ、1時間待って下さい、温泉に入ってもらっている間に用意します」なんて作り笑顔で言ってしまうのだよ。それでも全員が和気あいあいだったので、20時の消灯を実行できた。

8月9日 晴れ

今日も晴れだ。3時に起床して9人分の朝食を用意する。今日は全員が4時の食事だ。忙しいけれど一度に片付くので助かる。5時半には全員下山して行った。8時まで横になって休んだ。こんな暑い夏は珍しいね。部屋内は25℃なので、休憩中は汗が引いて過ごしやすい。受付所の壁を今日中に仕上げたい。1日のノルマは達成しておかないと後の日程が苦しくなる。13時で大まかな作業は済んだ。食欲がないので14時まで昼寝をする。ビールと日本酒でカロリーは十分だと思う。それが証拠に腹が凹まない。自宅に居る時のウェストではないが、ベルトがユルユルではない。64歳ともなれば、おいそれとは減らないのが、体重だ。現状維持の体重に比べて、記憶力は減退するばかりだ。14時を過ぎると作業が楽になる。俄然やる気が満ちて来る。衛星電話のために窓を10センチ高くしてみた。それが効を奏したものか、電波状況は改善された。が、絶対に信用はしないぞ。衛星電話はドコモに限る。窓の壁が完成間近になったので時計を見ると、16時過ぎ。無理のない所で作業を終了した。風呂に入り、洗濯をしながらビールを飲んでいると、眠気がさす。宿泊者がいないので、早く寝よう。

8月10日 晴れ

晴れの日が続いて、朝が楽しい。今日も頑張れる、という気がして来る。仙人谷全体が乾燥している。暑さに弱い樹木は葉を枯らしてしまった。石垣の棚に移植したリンドウは干からびる寸前だ。雨が降るまで毎日の水やりが欠かせない。雪渓も異常だが、日照りも度を越えている。6時半に起床。疲労が溜まって起きるのが、辛い。まずはゴミ燃やし、ガスボンベの移動。発電機の給油を終えて朝飯を食いだしたのが7時半。ビールを飲んでいると、立ち寄り湯の登山者が来た。続いてジュースの人、トイレ拝借の人と、賑やかになる。まあ、疲労回復のために作業の手を止めて、登山者の相手をするのも悪くない。9時から北側の壁に手を付ける。土台が腐って柱を支えられない状況だ。中途半端な修理では来年まで持ちそうにない。基礎、土台、柱、壁の全てを取り替えよう。まずは折れた柱と壁の撤去作業。搬出して焼却処分。基礎コンクリート打ち、型枠造りと時間のかかる作業ばかりだ。11時まで作業に没頭した。喉が乾いたのでビールを飲む。ゆっくり飲みたいが、作業が気になる。予約の宿泊者が来ないうちに目処をつけたい。ビールで喉を潤して作業開始。14時までに清掃まで完了。17時半、夕食スタート。盛り上がって、消灯は21時。

8月11日 晴れ

しかし、晴れの日がよく続いている。予報ではにわか雨と言っているが、朝はその気配なし。4時の朝食が3人。6時が2人。このパターンが多いね。早く出発した人を見送って、5時半から20分布団の中でウトウトした。再起床して卵を焼く。豆腐を切れば二人分の朝食の出来上がり。朝食が終了して朝寝。疲労回復には睡眠が一番。1時間眠れば夕方までの作業はできる。たまには1日中休んでみたい、と弱気になる自分を、そんな事でどうする、山小屋の修理が至上命題だぞ、と叱る自分がいる。8時から北側の壁を解体、搬出。想像以上に腐食が激しい。屋根をジャッキアップして柱を入れる。補強が半分終わった時に、スタッフの大西さん到着。宿泊者も続いて到着。今日の作業は終了。風呂に入ってから差し入れのカツオでビールを飲む。二週間ぶりの刺身だ。夕食は2人分なので17時半に用意が整った。宿泊者と同時にスタッフも夕食をスタート。宿泊者の相手は大西さんに任して、仙人は18時半に就寝。

8月12日 曇り時々晴れ

季節が変わりそうだ。朝はウグイスがさえずっていた。夕方には地鳴きに変わったので繁殖期が終わったようだ。9時にぱらぱら雨が降った。すぐに止んでくれたので、外仕事をする気になった。離れの部屋に布団を5組用意する。スタッフ棟にも5組用意する。最後に大部屋の布団を整理して片付けは終了。単独の女性が宿泊。枕カバーを洗濯してから北側の壁の修理。昼にスタッフのTOさんが到着。食材を担ぎ上げてくれるので助かるよ。夕方に宿泊者が一人。夕食の用意はTOさんと大西さんに任せて、布団で休憩。今年は疲労が抜けないが、気力でカバーしている。天気さえ良ければ8月末には工事が完了しそうだぜ。女性相手なので、少し飲み過ぎた。20時半消灯。

8月13日 雨

弱い雨が降ったり止んだりではっきりしない。女性の登山者を雪渓まで送った。10日前に仔連れのクマをその雪渓で見ているので、単独の女性が心配だったのだ。登山道の草刈りをしながら小屋に戻ったのが6時半。雨と汗で濡れた身体を風呂で流し、1時間ほど眠った。北側の壁を修理していると、9時に宿泊者が来る。聞けば14日間山を放浪しているとの事だった。一度切りの長いようで、短い人生だぜ。二週間でも三週間でも納得の行くまで山を歩くがいいよ。昼まで工事をして休憩をしていると予約の宿泊者3人が到着。昼からの工事は中止して、片付けをする。ゴミはTOさんが処理してくれた。ガス台は大西さんが新設してくれた。手分けして工事をすると仕事がはかどる。15時に9人分の夕食の用意を始める。17時に用意完了、と思いきや飯が炊けていない。一体どうしたんだろう。殆ど記憶に無い失敗だった。が、本来は18時開始の夕食なので苦情を言われることはなかった。温泉好きな人達で夜は盛り上がりました。スタッフの大西さん、ワイン一本に日本酒で酔っていました。TOさんと仙人は過労でダウン。21時半消灯。

8月14日 雨

3時にトタン屋根を叩く雨の音で目が覚める。久しぶりの降雨なので植物は喜んでいるだろう。登山者には気の毒だが……。4時半朝食の組と6時半朝食の組で半々の人数でした。スタッフの大西さんは6時に下山。雨の中を8時までには皆さん下山して行きました。仙人もスタッフのTOさんも体調が思わしくないので、本日は休養日に決定。食事の後片付けをして11時までゆっくり眠りました。昼前に宿泊者が到着。雨の中を来てくれるとは、嬉しい限りです。仙人は食欲不良のため、また布団に潜り込んで休みました。食欲がないので柿の種でビールを飲んでいると、池の平小屋のスタッフが立ち寄る。当小屋にも「サスの昆布締め」を差し入れてくれた。雨の日は登山者が少ない。4人組、単独の人がパラパラでしかない。昆布締めで日本酒を飲んでいると、予約の2人が到着。宿泊者4人の静かなお盆休みの、仙人温泉です。17時半に夕食の用意が整った。宿泊者の話し相手はTOさんに任せて、別部屋で日本酒を飲む。盛夏の疲れが残っている。応援のスタッフがいる間はなるべくスタミナ温存に努めよう。20時半消灯。

8月15日 晴れ

3時にはまだ曇り空だったが、5時には快晴になる。4時半に朝食だったので、6時には皆さん出立した。朝飯を食って8時まで眠る。起きてからテレビで高校野球を見る。第一試合は早稲田実業の試合だった。9時半まで観戦して、布団を干した。TO、三浦さんにはヘリポートの草刈りを頼んで、仙人は手洗いの水槽を設置する。壁の補修に手をかけたが、森林管理所のパトロール、立ち寄り湯の人、池の平のスタッフが来たりして仕事が手に着かない。昼飯を食い終わったら13時半になった。とても疲れたので15時まで眠る。15時過ぎに宿泊者が1人来る。女性の4人はキャンセル。ガイドの勝野さんが5時過ぎに到着。北方稜線から13時間歩いての到着だ。俄然慌ただしくなる。食材のカット、飯を炊飯器にセットする。味噌汁の分量を増やす。とにかく忙しい。手が4本欲しいくらいだったが、なんとか18時に夕食を開始できた。勝野さんとは1年半ぶりの再会だった。積もる話しはあったが、20時に歓談を終えて21時に消灯。月の無い夜なので銀河が、仙人谷の空全体を埋め尽くしていた。

8月16日 晴れ

4時半の朝食を終えるとガイドの勝野さんは5人で出発した。旧道を行くので雪渓から陸道に取り付く所まで仙人も同行した。雪渓の切れ目で一同を見送ってからイヌドウナを採りながら小屋に帰った。盆が終わった。雨に祟られて散々だったが、山小屋は水商売なので仕方がない。気合いが抜けたせいか身体の調子が良くない。熱っぽくて食欲が無い。どうも夏バテらしい。居候の三浦さんに店番を頼んで寝ることにした。布団に潜り込むといくらでも眠れる。16時に予約の登山者が来る。二人分の夕食を用意して18時からまた寝た。三浦さんが食事の後片付けをして20時に消灯をした。

8月17日 雨

3時に雨が降り出す。三浦さんは今日下山日なので登山者と同じ4時の朝食。5時半に下山した。狛江市の小寺さんも続いて出発。ビールを2本と日本酒を飲んで布団に倒れ込んだ。9時半まで眠った。疲労から解放されない。が、時間は過ぎて行くばかりなので、のんびりはしていられないのだ。8月末までに大まかな工事を仕上げないと、小屋閉めが大変になる。北側の壁は後二枚。雨が降っていて嫌なムードだが手を付けなければ何時までたっても終わらない。雨の様子を見ながら壁の丸太を撤去する。柱を垂直にして丸太を入れ直す。補強の板を貼る。外壁の柱を2本入れて今日の作業は終了。16時半だった。宿泊者は0人なので風呂にゆっくり入る。17時から20時までは冷凍庫のために発電機を必ず回す。その間に食事をしてテレビを見る。高校野球の中継を見て、晩酌をするのが楽しい。準々決勝なので4試合目はナイトゲームだった。18時前にずぶ濡れの登山者が宿泊したいと来た。食事も欲しい、とのことだ。ちょっと面倒に思えたが、断る訳にはいかない。作り笑顔で受け付けをする。夕食は19時スタートになった。消灯は20時です、と宣言をしてそれを実行した。雨が強くなって、憂鬱な夜だった。

8月18日 雨後曇り

夜半は目が覚めるほど強い雨の音がしていた。4時半の朝食だったので、4時に起床する。30分で朝食の用意を整えて宿泊者に声をかける。三の窓でビバークしたためにシュラフもテントもビショ濡れだ。そんな状態では熟睡できない。布団で寝られる有り難みを感じたと宿泊者は言っていた。8時まで休憩をして仕事を始める。ってもしかたのないことだが、常に急かされているような脅迫観念がある。10時に道が解らない、と訪ねて来た登山者がいた。15年前の地図を頼りに歩いていたのだった。9年前に廃道となっていたコースを下山したために迷子になったのだ。昼前に単独の宿泊者。作業は中止して、片付ける。もう少し作業を進めたかったが、夕食の用意をしなからでは良い仕事はできない。通路と食堂の清掃を終えて休憩をしていると、道に迷いました、宿泊させて下さいと単独の登山者が来た。雨模様の天気なので雪渓を上流に登るのはルート探しが困難になる。夕食まで間があったので、少し寝た。30分眠ると元気が出た。バリバリっと食材を切ったり炒めたりして、17時半に用意が整った。20時に消灯をしたが、なかなか寝つけない。時折ざあっと雨足の強くなった音がする。もう秋雨前線が停滞する季節になったようだ。

8月19日 曇り

天気予報は晴れ、なのだがはっきりしない空模様だ。5時半に二人共出発した。発電機を止めて寝ることにする。今日は11時から高校野球の準決勝なので発電機を回して観戦しよう。そのために朝はガソリンを節約するのだ。8時から作業開始。スカッとしない天気だが、贅沢は言ってられない。とにかく北側の壁の始末をつけないことには、気が重い。少しずつでも前進しなければ8月が終わってしまう。10時半までに骨組みができた。やれやれと一休みしていたら、池の平小屋のスタッフが挨拶に来た。高校野球の準決勝を見ながら2人でビールを飲んだ。12時半に帰ったので、作業開始。板を貼って、防水紙代わりにプラベニヤを貼って本日の作業は終了。16時半だった。宿泊者がいないのでのんびりと風呂に入った。あわただしい時は2日間風呂に入れないこともある。冷凍庫のために発電機を回す。ガソリン代が馬鹿にならないが、便利さには勝てない。2時間半冷やしたので、発電機を止める。寝るには早いが明日のために身体を休めよう。19時半、消灯。

8月20日 曇り時々小雨

習慣で、午前2時に目が覚める。けれど宿泊者がいないので今朝は安心して二度寝ができる。起床したのは5時。もう少し寝ていたかったが、温泉の調整に行くので「ヨイショ」と気合いを入れて起きた。道具をザックに詰めて源泉に行く。長靴なので凍っている雪渓は滑りそうで恐い。湯の出が悪くなった原因の調査をする。おおよその状態は湯の流出状況を見れば想像はつく。今年は雨が少ないので、水が枯渇しているようだ。降りすぎる雨も困るが、日照りの夏も支障がある。湯の出は悪いが入浴に不自由する訳ではない。しばらく様子を見よう。フキを採って小屋に帰ると、下山者が立ち寄りの入浴を希望したが、風呂掃除中だったので断った。女湯の亀裂から湯が漏るので修理をする。ゴミを燃やして洗濯をして朝飯を食ったら、眠たくなった。11時まで休憩。採ってきたフキとアザミと8本だけのゼンマイの処理をする。日が照っていないのでゼンマイはストーブを点けて干した。日中なのにストーブを点けても苦にならない。季節は移り変わって、秋が肌に感じられる頃になった。昼飯を食っていたら、池の平小屋からの2人組が到着。風呂上がりに昼食を頼む、との仰せつけだ。昼飯が一段落した時、二組目の登山者が到着。早いけれど夕食の用意を始めた。17時半、スタート。20時消灯。

8月21日 雨

欅平まで帰る組は朝食が4時。阿曽原までの組は6時の朝食が定番です。どうした訳か今朝は、3時に起きるのが辛かった。腰に張りがあって重苦しい。年齢のせいにはしたくないが、ちょっと作業を頑張ると2、3日身体が痛だるい。6時半に遅い組が出発した。独りでチャーハンを作って食って横になった。今日は一日中雨のようだから、半休の時間割で作業をするつもり。30分間読書して眠った。目が覚めたのが9時。雨は降ったり止んだりで回復の兆しは無い。受け付けの部屋を整理して、棚を造ることにした。雨の合間に外の材料を部屋に運び込んだ。90センチ角で奥行き35センチの棚を造るのに14時までかかった。片付けと明日の段取りをして風呂に入る。食事の用意をしてくれる人がいれば、もう少し頑張れるが、独りでは無理が利かない。昼の残り飯を温めて食った。17時から20時まで3時間、冷凍食品のために発電機を回す。テレビの番組はこれと言ったものが無い。読書で暇をつぶして、20時に消灯。大した作業ではなかったが、徐々に片付いていくので、気持ちがいい。

8月22日 雨

昨日は登山者の姿が皆無だった。8月にしては珍しい。来年から8月と言えども、この程度の来客数と腹をくくっておこう。以前籍を置いていた、新座山の会から電話があった。高橋仙人の顔を見に行きたい、と言う人が何人かいる。室堂からのコースを歩きたい、とのことだった。電話をくれたのは、加々良敏江さん。60歳で急死した前会長の奥さんだ。あれから14年が過ぎた。敏江さんは前会長と同じ年齢なので74歳の筈。皆さん年をとりましたね。亡くなった人も多くなりました。月山、鳥海山を土曜、日曜日で登った杉江さんの訃報も7月に山小屋で聞きました。ご冥福をお祈りします。8時半から作業を開始した。外仕事はできない。部屋の整理と道具置き場の新設。ロープで間に合わせていた雨具掛けを、丸棒に代える。整理をすると通路がかなり広く見える。結果が直ぐに出るので、やりがいがある。昼休みもそこそこに作業に没頭する。相変わらず雨は降り続いている。屋内の仕事もこなし切れないほどあるのだ。一段落したのが16時半。欅平からダイレクトで来る登山者の予約を受けている。悪天候なのでキャンセルかと思ったら、17時半に到着。お茶だけは作っておいた。二人前なので慌てるほどではない。味噌汁を作りながら、天ぷらの食材を調理する。食器をテ―ブルに並べて飯が炊けるのを待つ。18時半に夕食を提供できた。疲れていたために、20時で消灯させてもらった。移植後3年でリンドウは蕾を持つ。薄く淡い紫が初老の瞳に眩しい。

8月23日 雨

予報では陽射しがありそうだったので布団を干そうと思っていたんだ。そしたらね、少雨が降っているんだよ。少し弱っているよ。宿泊者は7時に出発した。池の平小屋までなので、のんびりしていたね。朝飯が遅くなったので朝の休憩もずれ込んでしまった。10時、飛び起きて作業開始。東側の壁が歪んでいる。サッシュを撤去して補強の柱を入れる。ジャッキアップして柱の歪みを矯正しながら新しい柱を抱き合わせるのは、一人では骨が折れる。小雨が降り続くので窓際の作業は、はかどらない。16時半まで気力を振り絞って頑張った。どうにか荒仕事だけは仕上がった。雨に濡れて、さしものの闘魂も擦り切れそうだ。風呂に入ってから夕食にした。まだ調理場の壁の修理が残っているので、ビールが進まない。18時半に布団に潜り込んだ。読書を2時間して、消灯をした。

8月24日 曇り後晴れ

朝は霧雨が降っていたけれど、10時頃から晴れてきた。今日こそ布団を干そうと思っていたが、とてもそんな状態の天気ではない。朝飯を終えて8時半から作業を開始した。サッシュのガラスが粉々に割れたので透明のアクリル板を加工してガラス代わりに使用するつもりだが、サッシュと建具の修行をしていないので、仕上げは保留。調理場の壁を撤去して台風の雨に耐えられる状態に、するぞ!と気合いを入れるつもりが、ちょっとだけビールを飲んでいる。今、11時です。酔っ払ってはいられない。自分で工事を進めなければならない。代わってくれる人はいないのだ。ストライキを起こしそうな身体に鞭を打って仕事に励む。工事を始めれば、職人の血が騒ぐ。壁の撤去、折損した柱の撤去。壁板の撤去、ゴミ運び。結構疲れます。でも、愚痴は言っていられません。このままでは下山できないのです。今日は宿泊の予約がないので、17時まで作業ができた。おかげさまで骨組みだけは、できました。明日は天気が良い、と言う予報なので、外部は仕上がると思う。20時半消灯。白馬と唐松の小屋は明かりが煌々としている。

8月25日 晴れ午後から雨

雨の降らない日はない。もう9日間降っている。降りっ放しではないので工事はそれなりに進捗している。天気予報では昼前後に雨マークがあったので、8時から作業を開始した。昨日骨組みを終えた調理場の壁に補強の丸太を入れて壁の仕上げに着手する。午前中は布団を干せる程の晴れではなかったが、作業には支障がなかった。昼前にパラパラ降り出して、13時過ぎると電動工具が使えない程度の雨になった。幸いに、工事は昼前に雨仕舞いまで出来た。余裕で昼のビールを楽しんでいると、宿泊者が二人。夕食まで4時間あるので、昼飯を食ったら横になってたっぷり休憩をするつもりだ。2時間眠った。壁廻りの修理が概ね終了したので、安心した。15時に単独の宿泊者。受け付けをしてから夕食の用意を始める。雨は上がりそうな気配だ。どうやら台風は逸れたようだ。17時半、夕食スタート。宿泊者の相手をしながら、ビールと日本酒を飲む。食欲はあまりない。早めに寝たいので20時に消灯した。

8月26日 雨後晴れ後雨

台風の影響で夜半に強い風が吹いていた。雨もザァ―ッと音を立てて降る。そのたびに目が覚めた。朝食は4時半。なので、起床は3時半。3人分の朝食ぐらいなら、時間に追われることはない。朝食が済んだ5時に、明るくなって歩けるようになる。3人とも6時に出立した。疲れる。マラソンに例えれば折り返し地点だ。10月12日の営業終了日まで残り50日を切った。9月1日から5日まで休暇が確保できた。もう、身体がガタガタしてきたのでとても助かる。スタッフの皆が交互に、小屋の留守番をしてくれるんだ。〃嬉しいよ〃 10年前には想像できなかったことだ。3ヶ月間休日なしで小屋番をするのは、正直しんどいです。11時から時折強い雨が降り出しました。が、ギブアップはできません。折り返し地点から残工事の日数を割り付けると、多少の雨なら休んではいられないのです。入り口の壁を仕上げにかかりました。撤去は終わっていたので、骨組みから手を付けるのです。荷揚げした材料はほぼ使い切ったので、古材を再使用します。手間がかかります。16時過ぎ、下地の壁板まで貼れました。良く働きました。全てギリギリですが、まだ闘魂は残っています。明日からは小屋閉めを念頭に置いて、工事の段取りをします。確実に一つの仕事を手残りがないように仕上げるのです。19時前に「テント場はありませんか?」と2人組みが来た。「勝手にしやがれ、オオバカ野郎共」と怒鳴りつけたいところだが、寝る場所がなければ楽しい山の思い出が得られない。非常時と解釈して、ヘリポートにテントを張らせた。………。20時消灯。

8月27日 小雨後晴れ後曇り

スカッとした天気にならない。グズグズ、メソメソした空模様だ。まあ、仕事に差し支える程の雨ではない。5時に目が覚めた。発電機を回す。食事の用意をする。気付け薬のビールを飲む。そして8時から少し寝る。気楽な稼業だよね。小屋番暮らしは、雪害さえなければね。9時から西側のドアを正規の位置に取り付ける。とは言え、簡単ではない。下地の兼ね合いが結構難しい。試行錯誤して曲がりなりにも完了したのが11時。ビールを1本だけ飲んで工事再開。東側のドアの取り付けを始める。施工方法が理解できていたので、意外に早く取り付けられた。スタッフの小森さんが昼過ぎに到着。挨拶を交わして、しばし休憩。15時半に宿泊者も到着。急いで大工道具を片付ける。17時半に夕食スタート。山の話で盛り上がったが、明日は4時半の朝食なので20時に消灯。

8月28日 晴れ後雨

今日は午前中の天気が良さそうだ。明日からはまた崩れる予報なので、残工事を頑張らなければならない。宿泊者の食事は4時半。なので、起床は3時半で良いのだが、スタッフの小森兄貴は3時に食事の用意を始めている。ドッコイショ、と起きて味噌汁を作る。キャベツを盛り付ける。卵を焼く。炊けた飯をお櫃に移す。で、配膳をする。宿泊棟に行って「食事の用意ができました」と声をかける。とりあえず、小屋番の朝の仕事はそれで終了です。ホッと一息ついて、気付け薬のビールを飲む。次に栄養補給の日本酒を二合と少々飲む。最後にチャーハンを一皿作って、食って朝の休憩タイム。客商売の疲れがとれた8時から目を覚まして、作業開始。今日は小屋閉め同様の仕上げをする予定。まず北側の壁を完璧な状態にするのだ。資材が乏しいので廃材を再使用しながらなので、思ったよりは進まない。でも、慌てない。平常心で作業に打ち込んでいないと、事故を起こす確立が高くなる。電動工具で指を切断すれば今年の営業は即終了だよ。とにかく病気と怪我は禁物なんだね、小屋番稼業にはね。北側の壁は妥協しながら11時に完了した。もう少し、もう少し完璧にと思うのだが、後の工事が目白押し。ビールを飲んでちょびっと休憩タイム。その間に鳥肉とゴボウの煮物を作る。雲行きが怪しいので西側の壁も仕上げにかかる。下地は出来ていたので、涙トタンを寸法切りして貼る。入り口のサッシュ廻りまで貼った時に、雨、雨、雨が降り出す。16時近かったので、本日は終業とした。途端に疲れがどっと出る。スタッフが風呂に入っている間、横になった。すぐに意識が無くなってぐっすり眠った。20時、消灯。

8月29日 雨

夜半の雨足が激しい。何回か目を覚ました。冷凍庫のために発電機を回す。発電機の調子が良くない。作動すれば燃料が切れるまで運転できるのだが、始動するまでが大変骨が折れる。8時までビールと日本酒を飲んでゆっくりした。雨は降り続いている。外仕事はできないので、食堂の棟を補強する。概略をスタッフの田中さんに説明して、修理を任せた。疲労がピークなので横になって眠った。昼過ぎに予約の登山者が到着。スタッフの大西さんも到着。友人と荷揚げをしてくれたので助かった。去年まで池の平で手伝いをしていた木下さんも顔を見せる。小屋が賑やかになった。ほぼ夕食の用意が終了した頃に飛び込みの登山者2人が来る。追加で副食品を揃える。いよいよ天ぷらをスタッフの田中さんが揚げかけた時、仙人は不覚にも左手の中指を、包丁で切ってしまった。狭い調理場に3人入っていたものだから注意力が散漫になっていたのだ。血が止まらない。ちょっと深い傷だ。が、自力で治すしかない。救急車は来ないし、病院にも行けない。山小屋暮らしの辛い所ですね。宿泊者の夕食をスタッフに任せて、別室で横になった。そのまま眠ってしまった。

8月30日 雨

今日は本降りの雨だ。8月前半は晴れの日が続いて日照り気味だったが、後半は雨の日ばかりだ。外廻りの工事はストップしたままでね、気が揉めるのです。指を怪我しているので、休養にはなる。まあ、焦ってもさらなる怪我をする可能性があるので、ここは頭を冷やして出直しだよ。8時半、雪渓から夏道に上がる取り付き点が見つけられずに、ビバークした母親と10歳の息子が立ち寄った。ひもじい思いをしたのだろう、小屋に着くなり「そおめん、そおめん」と連呼する。気の毒だったので素麺に梨を付けてだしたら、美味い梨だ!と喜んでいた。「仙人温泉小屋に泊まりたかったんです」と母親が言うので、入浴をサービスした。非常に喜んでくれた。記念写真を撮って、雨の中を元気に下山して行った。10歳のビバーク少年、将来が楽しみだね。昼に去年来た、と云う広島県の登山者が到着。日本酒を土産に担いで来た。2年続けて宿泊してくれる人には、頭が下がります。14時に予約の宿泊者も到着。夕食の用意はスタッフに任せて、仙人は傷の養生に努めた。20時消灯。

8月31日 雨

8月も今日で終わる。雨に祟られた月末になった。こんなに雨が降り続く年は記憶にない。悪天候なので登山者の姿はめっきり減ってしまった。明日は休養のために下山する日だ。指の傷が治らなければ病院に行こうと思う。今は痛みが無くなってきたが、傷口が完全に塞がっていない。テープを剥がすと血が出る。ちょっと気持ちが悪いよ。2日間安静にしたので、疲労は取れた。肩も腰も軽くなって楽だ。このくらいのんびり出来ると山小屋暮らしは極楽だよ。止められないね。スタッフだけの夕食なので19時には酔いが回った。小森さん19時就寝。居候の木下さん20時就寝。仙人と田中さんは21時までテレビを見た。イタリアのイヌワシを一年間追った記録番組だった。ヒゲワシと云う翼長3メートルになるワシが生息していることも、初めて知った。21時消灯。

9月1日 雨

深夜にトタン屋根を突き破る程の激しい雨。1日から大荒れの天候です。下山日なので憂鬱だよ。4時半に起床。ビールと日本酒を飲んで二度寝をする。8時に起きてザックに下山の荷物を詰める。雨はずっと強く降り続いている。10時に出発。少し雨足が弱まったが、止む気配はない。でも歩かなければ、用が足せない。山で暮らすための条件は健康であること、健脚であること、健全な精神を持っていることだね。心が病んでいては山で暮らすことができない。脚力がなければ山の仕事をこなせない。仙人ダムに12時に着く。ミンミンゼミが鳴いている。欅平で缶ビールを二本飲んだ。今晩は鐘釣温泉泊まりなのでアルコールは飲み放題だ。鐘釣温泉の宿で昼飯代わりに山菜うどんを食ってビールを二本飲んだ。15時にチェックインして、河原の露天風呂でまた一本飲んだ。明日は山小屋の資材を調達するために、奔走するのだ。張り切るのだ。頑張るのだ。

9月2日 曇り後晴れ

鐘釣温泉の露天風呂に早朝入った。今日は雨から解放されそうな空模様だ。宇奈月に10時半に着く。ホームセンターで発電機の下調べをするが、思うほどの結果は得られない。製品の展示はなくて、カタログでの注文なのだ。金曜日までに入荷する保証がない。トホホに暮れる。プロパンガスと食料品の手配だけでその日は終わった。

9月3日 晴れ後雨

まだ天気が安定しない。午前中に雑品を買い揃えて箱詰めをする。立山町、黒部市、魚津市と発電機を探し回るが、調達できない。土地勘がないので無駄に車を走らせるばかりだ。と、思い出したよ。糸魚川のインターチェンジの近くで専門店の看板を見た記憶がある。明日は糸魚川に行って見よう。

9月4日 晴れ後雨

昨日は長野県の小谷村で泊まる。何回か宿泊した、来馬温泉風吹荘でのんびりした。下山していても心の半分は山小屋の事を考えている。心底ゆったり出来る訳ではないが、炊事、洗濯から解放されるので身体は楽だ。8時半から行動開始。糸魚川のホームセンターでドライコンクリートを調達した。インターに向かうと、農機具の専門店があるではないか!さんざん探しあぐねた店が見つかりました。専門店だけあって製品の現物が展示されていました。もう安心です。電気が得られなくなる不安から解放されました。水、ガス、電気は生活の必需品だからね。立山町で材木の手配をして、運送会社に荷物を届ける。これで今回の仕事はすべて終了。

宇奈月の民宿で飲んだ。ホッとしたのか、正体が無くなるまでしこたま飲んだ。

9月5日 晴れ

今日は雨の心配をしなくてすみそうだ。ちょっと蒸し暑いが盛夏の暑さに比べれば凌ぎやすい。登山道の急な登りでも息が続くようになった。雲切新道から小屋を見ると、故郷に帰って来た思いになる。小屋閉めまで40日ほどになった。一抹の淋しさはあるが、感傷的になっている暇はない。小屋には留守を守ってくれた小森さん、今日から手伝ってくれる三浦さんが待っていてくれた。担ぎ上げた食品を整理して、ビールを一本。風呂で汗を流してまた一本。ほろ酔いになって横になる。と、不足している冷凍野菜をTOさんと原田さんが担ぎ上げてくれた。15時、予約の宿泊者2人が到着。予約無しの登山者2人も続いて来た。最後に常連の村上さんが到着。調理場が夕食の用意で騒がしくなる。食事が一段落した頃合いを見て、村上さんと囲碁を打った。消灯時間の20時に勝負がついた。

9月6日 雨後曇り

どうした天気なのだろう。4時に激しい雨が降った。心も腐るが木材も腐る。燦々と降り注ぐ太陽が恋しくなった。8時から雨は止んだ。貴重な時間なので自炊場の工事に手をかけた。原田さん、TOさんがいるので骨組みはできた。もう少し雨が止んでいてくれたら屋根がかけられたのに、10時から降り出した。登山道整備に行っていた小森さん、三浦さんも帰ってきた。皆で10時の休憩をして天気の様子を見ることにした。一時間が過ぎても雨は止まない。原田さん、TOさんが下山したので作業終了となった。風呂に入ってビールを飲んで、昼寝。起床したのは15時。夕食の用意をしてまた、ビールを飲む。テレビを見て20時消灯。宿泊者は0。

9月7日 雨

もうお手上げ状態の天気です。昨晩は屋根の一カ所から雨漏りがしました。トタンを剥がせれば修理できるのですが、雨天では手の出しようがありません。取り合えず鍋で漏水を受けています。9日に小森さんが下山するので、夕食時にささやかな宴会をするつもり。前日の晩に飲み過ぎると、下山に差し支えるかも知れないからです。仙人温泉小屋のスタッフは朝の4時に気付け薬としてビールを飲むのです。どうも、飲まないと調子が出ないのです。そしてね、8時に作業を開始してたっぷり汗をかいて、また飲むのです。健康なのか不健康なのかを誰も解っていません。土曜日に担ぎ上げた豚モツを1キロ、ジャガイモ、ゴボウ、ニンジン、ニンニクの下拵えをして、鍋をコンロにかけました。1時間半煮込めば出来上がりです。煮物をしながら工事も頑張ります。小雨の降る中、11時半まで自炊場の屋根工事をしました。概ね仕上がった頃、スタッフ2名が帰って来ました。雨も止みそうにないので、本日の作業は終了。モツ鍋で昼から少宴会になりました。

9月8日 曇り

3時に小用でトイレに行くと唐松小屋の灯火が見えた。久しぶりに雨から解放された朝だ。小森さんはもう起きて気付け薬を飲んでいる。宿泊者がいないので、もう少し眠ることにした。5時半に起床して発電機を回す。昨日のモツ鍋を温め直してまずはビール、そして日本酒、最後にワインを飲んで飯を食う。

発電機の調整をして、休憩。8時半からヘリポートの片付けをして、小分けしたガソリンを小屋まで運ぶ。14日にヘリが来るので飛散物がないようにしておくのだ。下げ荷を用意するのは、天気が回復してからにする。10時半から自炊場のテーブルを設置して、ビールを1本。その屋根を補強してまた、1本。ゴミを燃やしてまた1本と思ったら予約の宿泊者が2人。続いて無予約の登山者も到着。悪天候続きなのに、辺境の山小屋に来ていただいて感謝、恐縮。夕食の下拵えをして発電機の調子を見る。作動しない。発火してもブスプスと白煙を吐いてエンスト。疲れるよね、精神的プレッシャーに押し潰されそうだ。でも、なんとかしなければ、冷凍食品が腐敗してしまう。エンジンオイルを代えたら白煙が薄くなった。エンストもしない。16時の点灯になるが、発電機にグズられるよりましだね。夕食の用意は17時半に終了。宿泊者の話し相手を小森、三浦さんにお願いして、寝室で休憩をさせてもらった。横になると身体がジーンとして気持ちが良い。大工仕事と調理仕事は筋肉の使い方が違うので二人分疲れる。休息が何よりの薬なのだね。小雨が降り出した。宿泊者と小森、三浦さんはすっかり意気投合して、盛り上がった。楽しい夕食の時間になったようだ。20時、消灯

9月9日 雨

台風18号が三河湾に上陸しそうだ。大粒の雨に強風。脱衣場の屋根がボロボロ状態。だが、なるようにしかならない。台風の過ぎ去るのを待つばかりだ。宿泊者は8時に出発して行った。風は強いけれど人が吹き飛ばされる程ではない。スタッフの小森さんも10時半に出発した。11時のニュースで台風が知多半島に上陸した、と伝えている。夕方には日本海に抜けるそうだ。11時半、水が止まった。宿泊の予約もないし、登山者の姿は全くないので水の修理は風雨が収まってからにしよう。14時、空が明るくなったと思ったら、雨が止んで青空が見えた。風も微風状態だ。スタッフの三浦さんと水の修理に行く。取水場の近くで給水ホースが外れていた。修理は3分で終わる。大仕事にならなくてホッとした。昨日の今頃、イヌワシが飛来した。今日の台風を何処でやり過ごしているのだろう。長雨で狩りができないに違いない。腹は減ってないか?異常気象なので心配だ。スタッフの三浦さんと晩酌をして、夕食を終えた20時に消灯。

9月10日 晴れ、夕方小雨

朝は快晴だったが、11時頃にパラパラっと小雨が降った。もう下山日まで40日を切った。多少の雨では作業を休めない。スタッフの三浦さんは8時から仕事を開始。風で吹き飛ばされた脱衣場の屋根を修理する。仙人は食事の後片付けをして9時半まで休憩。10時、工事開始。まず、自炊場の腰掛けをセットする。これで10人が調理できる場所が確保できた。次は宿泊棟の庇を付ける。食堂の庇も付ける。そして、小屋閉めの準備を本格的に始める。仮ではなくて、本設の壁を仕上げるのだ。防水シートを貼って、壁に波トタン打ち付ける。屋根下は細かい加工が必要なので、案外時間がかかる。13時まで作業をして昼食。雨は降ったり止んだりで、ともすれば作業意欲が喪失気味になる。所沢の自宅は無事だが、栃木県、茨城県では台風の余波で川が氾濫している、とテレビのニュースが伝えている。ここ3、4年記憶にない異常な降雨で災害が頻発している。「地球が狂い出している」としか、言いようがないね。こんな変動の激しい季節の中で生きている人類も、狂い出しているのかも知れない。14時に新人スタッフのM子さんがひょっこり来訪。「助かるよ」食事の用意から解放されれば、17時まで目一杯仕事ができる。三浦さんも頑張ってくれるので、小屋が引き締まった姿に変貌していく。小屋閉めの負担が軽減されるよ。17時から夕食を開始して20時 消灯。明日も張り切るぞ。

9月11日 曇り

天気予報では100ミリの降雨と言っていたが、どうやら大雨は回避されそうだ。雨さえ降らなければ仕事がどんどん片付いていく。シルバーウィークまでに目鼻を付けたいね。三浦さん、明日が下山日なので8時前から壁のビス打ちを始める。自分から積極的に作業をしてくれるので助かる。他人の面倒を見なければ、その分だけ自分の仕事がこなせるんだ。食事の後片付けをM子さんが受け持ってくれるのも嬉しいよ。下山までの日数に余裕がないので、壁の丸太を間引いて仕上げる事にした。14日にヘリで材木が来るのだが、待ってはいられない。少しでも作業を完了させて置けば、必ず後が楽になるはずなんだ。10時に小雨が降ったので休憩をしてビールを飲んだ。30分すると雨が上がったので作業再開。順調に壁が仕上がっていく。M子さんが下山した12時にまた小雨。そこで昼食にした。13時から作業を始めたのだが、身体が小雨に濡れて冷える。体調を崩しては元も子もないので作業は終了とした。宿泊の予約もないので14時に風呂に入った。洗髪をして、髭を剃ってのんびり入浴していると、イヌワシが飛来した。長雨なので飢えているのだろう。雨の中で必死に狩りをしている姿そのものだった。横になってうとうとしていたら、15時半に宿泊者が来た。受付の手続きをして、直ぐに夕食の用意を始める。予期してなかったので、ちょっと慌て気味。でも14年の経験がある。ソツなくこなして17時半夕食スタート。三浦さんが明日下山なので、秘蔵の日本酒の封を切った。宿泊者にも振る舞って、賑やかな夕餉時になった。あぁ~面白い山の夜。20時消灯。

9月12日 晴れ

久しぶりに星空を見た。朝食が4時なので、3時に起床した。小用で外に出ると、満天の星だった。気温がぐっと下がり、10℃を切っている。今年の紅葉は早めかも知れない。二人とも早立ちだったので、軽い朝食を済ませて5時半に横になる。火の気がない調理場で食器洗いをしたので、身体が冷え切っている。受付兼寝室も寒い。くしゃみが出るんだ。ストーブを点けなければ眠れなかった。7時半に自宅から予約者の連絡があった。声を聞くと、2ヶ月会っていない恋女房の顔が見たくなる。14日がへりの荷揚げ日なので、ゴミ等の下げ荷を梱包した。一人でする仕事は骨が折れる。けれどアルバイトを雇う程の売上は無い。年々歳々力仕事が負担になる。それが恐ろしいね。来年は腹を据えて考えてみよう。とにかく、今年だけは泣き言を言えないのだ。仙人谷に宿りたもう神さまに、闘魂を授けて貰ったからね。倒壊寸前の山小屋が直立して建っているよ。神仙組の面々が努力してくれた賜物だね。少し休んだら壁の仕上げをするよ。もう下山日まで35日だ。13時までみっちり働いた。外壁がほぼ仕上がった。これで小屋閉めの心配から解放された。後は天気の様子を見て作業をするよ。遅い昼飯を食っていると、仙人池ヒュッテから電話。4人組が素泊まりすると云う伝言だった。くしゃみが出て、身体がだるい。本日の作業は終了した。4人組は16時半に到着。食事無しなので受付を済ませればもう、手がかからない。ちょっと風邪気味の体調を考えれば、助かっちゃうね。発電機を回してから寝室で横になる。ビールを舐めるように少しづつ飲む。あまり美味くない。こんな日は深酒をしないで眠るに限る。20時消灯。一緒に飲みませんか?と誘われたが、もう飲む気力が無かった。

9月13日 曇り

深夜は星空だったが、夜明けとともに雲が多くなった。予報では午後から降り出すと言っている。暗い内に出発すると言っていた宿泊者は、6時に歩き出した。ランプの風呂が気にいったらしく、夜更かしをしたらしい。それで出発が遅れたのだ。8時半まで休憩をした。蓄積した疲労が抜け切れない。いくら休憩をしても、身体がだるい。飲み過ぎて肝機能が低下しているようだね。でも、でもでもだよね。日曜日なのに、雨が降ると一人の登山者もいないんだ。小屋番としては暇を持て余して、身の置き所が無い状態だね。で、嫌いでないから一本飲むか?となる。一本では済まない。二本、三本と飲んで、日本酒も飲む。それで足りない時はウイスキーに手を出す。それでも足りないと、あぁ~レミーマルタンが飲みてえ~ぜ!となると大分酔っているんだね。たとえ午前中だけでも、雨が止んでいる間は工事をしなければならない。懸案だった基礎の補修を8時半から開始した。薄陽のさす天気だったが、10時にパラパラっと雨が降り出した。「ヤバイ」と思ったが、水を飲みながら様子を見ていたら直ぐに止んだ。練ってしまったコンクリは、もったいなくて捨てられない。六ヶ所の補修が終わったのは11時半だった。まだ雨が本降りではないので自炊所の屋根をかけた。12時になると本降りの雨になった。これ以上は作業ができない。昼飯を食って横になる。小屋閉めの段取りができたので、安心して休憩できた。10月12日で小屋の営業を終了するので、宿泊の問い合わせが多い。良い気持ちで眠っていても、電話の音で飛び起きる。そして、また眠る。毎日が同じ事の繰り返しだが、日々の状況は大いに違う。人は死ぬまで同じ日を過ごす事はない。同じ日々を過ごすばかりの人生になったら、死期が近い。宿泊者が0なので、16時からゆっくり風呂に入った。ビールを飲みながらの入浴は酔いますね。気持ち良く酔っ払いました。17時からテレビを見ながらグダグダと飲んだ。誰に迷惑をかける訳ではないので、自分の気が済むまで飲める。健康であれば、山小屋暮らしは「飲兵衛」の天国だよ。19時半消灯。皆さん、お休みなさい。

9月14日 快晴

素晴らしい青空だ。今日のヘリは確実に飛ぶだろう。それを確信できる秋の澄んだ空の色だ。気温は10℃を切っている。紅葉が少しずつ始まりそうだ。午前中は荷揚げのヘリをジッと待つ。待つ事が人生の大部分なのだ、と言い聞かせながら……。が、ビールも飲まず、昼飯も食わずに待っていたヘリは来なかったよ。14時半に予約の一名が到着。30分後にもう一名も到着。16時から夕食の用意をすれば充分間に合うので、カップ麺を食って腹拵えをした。何もしないでジッとヘリを待っているだけでは、腹は減らない。ビールも美味くない。ビールを美味く飲むためには、身体をうごかす事だよ。ねぇ~わかるでしょ「飲兵衛」のご同輩。夕食は17時半にスタートした。今までは18時だったが、今年は登山者も少ないし、日が暮れても目的地まで歩くぞ、と云う人はいなくなった。小屋の立場では18時過ぎに来て、泊めて下さい、できれば食事もお願いします、なんて非常識な登山者がいなくなるのは、大歓迎だけどね。17時半に夕食をスタートすれば、20時の消灯まで2時間半飲める。。今晩も宿泊者2人と大いに飲んだ。小西さんの土産「宝剣」をペロリと飲んで、小屋の日本酒もグビグビ飲んだ。初対面の3人なのに、意気投合して来年の6月に会津駒ヶ岳で再会しよう!と堅い約束をしたのだった。仙人は鼻風邪が抜けなくて、体調が今ひとつ良くない。身体がシャキッとしていれば、もう1時間は飲んだかも知れない。それにしても、楽しい晩だった。20時、消灯。

9月15日 快晴

素晴らしい青空だ。今日こそヘリが飛んで来るだろう。食材も酒も燃料も不足していないので、困る訳ではない。けれど、今シーズン最後の荷揚げだから、スカッと終わらせたい。もう心は小屋閉めの事で一杯なのだ。懸案事項は速やかに片付けたいのが本音だよ。宿泊者は5時半に出発した。昨晩、会津駒ヶ岳の話題で盛り上がった。その小屋の管理人が個性的で面白い、と言う評判だ。管理している夫婦のカミさんが、私は「姫小百合よ」と自称しているんだと。ヒメサユリは淡いピンクの可憐な花をつけるユリ。だけれど、周囲のものは皆、鬼小百合だろうよ、と陰で囁いているらしい。で、仙人は姫か鬼か確かめたくなったんだ。11時半に常連さんと女性の宿泊者が到着。ヘリの様子を聞いたら、飛んで無いとの返事。参るよ、ヘリが飛ぶ時は、風と霧の状況を電話で問い合わせて来る。その時に返事ができないとフライトを中止されてしまう。ので、電話機の前から離れられない。つまり、外の仕事は何も出来ないのだ。15時に2人組が到着。ヘリは今日も来ない。諦めて夕食の用意を始める。17時夕食スタート。宿泊者の歓談を隣室で聞きながら横になって休憩。3人の男性は飲まなかったが、女性は焼酎を下さい、と頼もしかった。精神的に具合が悪かったので相手ができなかった。酒仙人としては忸怩たる思いだった。20時消灯。

9月16日 高曇り

単独の女性が4時半の朝食。男性3人は5時半の食事。4人前なら3時45分に起床で間に合う。消灯が20時なので、登山者も朝の目覚めが早い。4時半の朝食が4時になった。30分前倒しになっても対応できる時刻に、こちらも目が覚めている。5時半の朝食もスタートは5時になる。6時には全員下山した。食器を洗ってから、ゴボウ、ニンジン、ジャガイモ、鶏肉で鍋を作る。ひょっとしたらヘリが飛来するかと、電話に聞き耳を立てるが、その連絡は無い。今日もヘリは来ない。常連の伊藤さんが8時半に到着。のんびりと風呂を楽しんでいる。昼を一緒に食べていると、スタッフの田中さんが到着。小屋が賑やかになった。もう一人の予約者は登山道の猿に脅かされて不着。キャンセルの電話があった。夕食は田中夫妻に任せて、仙人は別室で晩酌をゆっくり楽しんだ。20時消灯。

9月17日 曇り後雨

朝食の用意を田中夫妻がしてくれた。客の身分みたいで、何か変な気持ち。でも身体から疲労感が抜けていくのが解る。連休前の良い休養になった。5時に朝食をスタート。宿泊者1人にスタッフ4人。今年はそんな日が多い。天候が異常だから、登山者の人数も異常に少ない。多いのは谷の雪渓ばかりだ。何時もの年ならお盆の頃に架ける橋が、未だに架けられない。雪渓が登山道から離れて非常に危険な状態になった。8時半に雪渓の巻き道を造るための調査に行った。確かに雪渓から登山道には乗り移れない状態だった。危ないな!と思った瞬間、雪渓が10メートルに渡って崩壊した。上に乗っていたので、そのまま3メートル墜落。着地した時は息が出来ない痛みを腿と脇腹に感じた。呼吸が平常になった時、身体を捻ってみた。動く。脊椎は無事だ。大丈夫だ。少しホッとする。そろりそろりと崖をよじ登って下流の雪渓を対岸に渡って、小屋に帰りついた。着替えをして横になると脇腹が痛み出した。寝返りをうつのが辛い。と言って、どうしようもない。痛みが和らぐまで安静にするしかない。こんな身体では、ヘリの荷物を受け取れないよ。

9月18日 快晴

田中さん夫妻が下山を日延べしてくれた。宿泊者は0だったので、朝から横になったまま痛みに耐えた。安静にしていれば痛みは感じない。が、ですよ。小用に行くのが大変。寝返りをうって立ち上がる時、髪の毛が全て抜けて落ちるかと思える程の苦しみなんですよ。当然歩行もままならない。一歩進むたびに肩で息をする状態だった。今朝は、昨晩よりいくらか痛みが緩和された。大腿部は打撲のみなので三日で正常に近くなりそうだ。脇腹は一週間かかりそうだね。連休前なのに困ったよ。10時から霧が出て視界が無くなった。ヘリは今日も来ない。燃料が3日分しか無い。困るね、弱るね。降ったり止んだりの天気だから登山者が極端に少ない。今日は3人が下山しただけだった。夕方から本降りの雨になった。

仙人温泉小屋

北アルプスの山小屋【休業中】です。 上は剱岳、下は黒部川、その中腹にあります。 仙人谷の噴気孔から温泉を引きます。 雪深いため夏期のみの運営になります。